聖徳太子(574~622)は、用明天皇の第二皇子として誕生しました。母は欽明天皇の第三皇女の穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)です。太子の父母はいずれも欽明天皇を父に持つ異母兄妹で、蘇我稲目(そがのいなめ)の孫にあたるため、蘇我氏とは血縁関係にありました。私たちが呼んでいる「聖徳太子」という名前は、彼の功績を称えて後世の人々が呼称したもので、生前の名前は厩戸王(うまやとおう)でした。名前の由来は諸説あり、厩舎の前で生まれたからとも、地名からとったとも言われています。『古事記』では上宮之厩戸豊聡耳命(うへのみやのうまやとのとよとみみのみこと)、『日本書紀』では、厩戸皇子(うまやとのみこ)や豊耳聡聖徳(とよとみみしょうとく)などと記されています。
幼少期から非常に聡明で仏法をあつく敬ったと言われ、伯母の推古天皇が即位すると、20歳の若さで摂政となります。蘇我馬子とともに政治を行い、大陸の進んだ文化や制度を採り入れ、天皇を中心とした中央集権国家体制の確立を図ったほか、日本古来の神道を信奉するとともに仏教に帰依し興隆につとめました。 また、さまざまな伝説や逸話が残されており、たびたび聖徳太子とされる肖像画が紙幣の絵柄に使用され、漫画やドラマの主人公としても取り上げられるなど、古くから尊敬と人気を集めている日本人にとって親しみのある人物です。
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