法隆寺建立のため通った通勤路「太子道」
太子道は、聖徳太子が愛馬の黒駒に乗り、斑鳩宮と飛鳥・小墾田宮の間を法隆寺建立のために往復した「筋違道」と、斑鳩宮で薨去した太子の遺体を御廟のある磯長へ運んだ「太子葬送の道※」があります。 道沿いには、太子ゆかりの伝説が多く残ります。三宅町の白山神社には、太子が休んだ「腰掛石」があり、屏風杵築神社には、太子接待の絵馬が奉納されています。 ※太子葬送の道:斑鳩町・王寺町・香芝市・大阪府太子町 太子道(たいしみち) 【住所】斑鳩町・安堵町・川西町・三宅町・田原本町・橿原市・明日香村
「筋違道」:三宅町
「白山神社/腰掛石」:三宅町
「屏風杵築神社/太子接待の絵馬」:三宅町
三宅町役場 地域活性課 課長 岡西 五十鈴さん 聖徳太子を偲び昭和5年(1930)白山神社境内に太子が愛馬黒駒にまたがり、屏風を往来される「黒駒に乗る太子像」が建立されましたが、第2次世界大戦中、金属類の献納でとりはずされ台座が残されています。 現在の像は平成24年11月22日、72年ぶりに復元されました。