吉野本葛の不思議
なぜ「吉野」葛?
伝承と吉野の知名度がつくりあげた葛粉の吉野ブランド
山深い吉野地方に「国栖(くず)」という地名がいまもあります。『古事記』に、国栖の人が葛の根を売り歩いたという記述があります。それでクズというようになったともいわれます。これはあくまで伝承ですが、葛の根がはじめは食用ではなく薬用だったことや、吉野の山野に多くの葛があったであろうことが想像できます。また吉野は修験道の地でもあり、山伏が各地に葛の根の薬効を広めたのかもしれません。そこはナゾです。
菓子や料理に葛粉が使われるようになったのは、早くて鎌倉時代、あるいは室町時代以降のことともいわれますが、定かではありません。 そしてやがて葛粉や葛粉を使った餅などが、吉野の名物となりました。これはナゾではなく、史実です。吉野詣での人々が、「吉野」葛を称賛したのです。
江戸時代のはじめ、京の漢方医で薬もつくっていた黒川道安が、葛根を吉野より取り寄せて葛粉を作り、朝廷に献上しその風味を賞せられ、 1650年に京都から宇陀に移転しました。黒川家では、現在も宇陀で葛粉造りを続けています。同じ時期に、老舗の森野家も吉野から宇陀に移り、いまも葛粉づくりをしています。こうして、「吉野」葛のブランドができていきました。
出典:大日本物産図会 大和国 葛ノ根ヲ堀図
(国文学研究資料館国書データベース)
|