01
奈良の食文化
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大和(奈良県)は古くから日本の文化の中心(みやこ)として栄えた地です。飛鳥時代から奈良時代にかけて都があった奈良盆地には、全国からさまざまな物資が運び込まれました。また、朝鮮半島や中国との交流も盛んで、遣唐使や中国からやってきた僧や学者、技術者が大陸文化を伝えました。
食文化もその一つで、全国から食べ物が運び込まれ、さらに中央アジアやヨーロッパ原産の野菜や果物の種も大和の地に伝わりました。そして、大和から日本各地に広がりました。酒や茶は大陸から伝わり、大和で発達し、全国に広がったものの良い例です。
やがて奈良から都は移りますが、仏教や芸術などの文化は残り、そのなかで大和の地に根差した独自の食文化が寺社や地域の人々によって育まれました。これがいまに伝わる奈良の食文化のルーツで、日本の食文化のルーツでもあります。
大和いも、大和すいか、柿などの野菜・果物はもちろん、蘇(チーズ)、饅頭、そうめんなどの加工食品、氷を保存して夏に食べる氷室の利用など、大和の素材や気候風土と、都であった大和の歴史が、奈良の食文化として再結晶しました。
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02
奈良の都は食の都
奈良の都には全国から食材が集まり、そして食の文化が全国に広まった
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全国から、そして中国などの大陸から、様々な知識や技術を持つ人々が奈良の都には集まりました。遣唐使は大陸の文化を奈良に持ち帰りました。こうしていろいろな人たちがいろいろな食の文化を伝え、さらにそれは全国に広まっていきました。
奈良の都は、日本の、そして国際的な食の都でもあったのです。
奈良の都の食文化は、奈良に残された歴史的資料に多く見ることができます。
例えば、木簡です。木簡は奈良の都に運びこまれた物資の荷札ですが、これをみると、いろいろな食べ物が全国から奈良に運び込まれていたことがわかります。例えば、鯛、鮭、鰺、鰯、海松(ミル:海藻)などの海産物の名前が木簡には記されています。海のない奈良も、物資・食べ物を運ぶ道を通じて、ちゃんと海とつながっていたのです。
(資料:「木簡庫」奈良文化財研究所)
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03
おいしいものが続く奈良
―発酵と精製―
「おいしいもの食べたい!」「食べ物があるとシアワセだ!」が
食の文化の、そして生きる人間の原動力
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昔から人々は、食べ物にはいろいろな工夫をしました。工夫には二通りの工夫があります。一つは「おいしく食べる」こと、つまり「味」へのこだわりで、もう一つは「長持ちさせる」こと、つまり食べ物に困らないようにすることです。これはいまもそうですが、昔の人々にとってもとても大切なことでした。
奈良でも、この二つの工夫がされました。とくに都の貴族は、おいしいものをよりおいしく食べることに努力を惜しまなかったようです。全国から食べ物を都に運び込むため、そしておいしいものをいつでも食べられるようにするために、長持ちさせる工夫、保存の工夫をしました。冷凍の技術のなかった時代には、塩漬けや干物にすることがその代表的な例です。
この二つの工夫が合わさったものに、発酵と精製があります。この二つは保存の方法であり、同時においしく食べる工夫でもあります。また、知識や技術が必要です。
奈良では都として大陸からいろいろな食の技術や文化がつたわったこともあって、二種類の工夫がいろいろと合わさって、独特の食文化を生み出し、時代をこえて「美味しいもの」が続いてきました。
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3つの保存食が彩る奈良の食文化
発酵の例が奈良漬と柿の葉寿司で、精製の例が吉野本葛です。
この3つの保存食が、いまもおいしいものが続く奈良の食文化を彩っています。
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