西ノ京 歴史再発見

  • 西ノ京 歴史再発見
  •  天平の遺構と伽藍、豊かな伝承、そして、のどかな風景に抱かれた西ノ京を散策し、歴史を彩った人たちの軌跡を辿るルートです。

西大寺

西大寺

 称徳天皇の発願により765年に創建された官大寺で、南都七大寺の1つ。鎌倉時代に、中興の祖・興正菩薩叡尊上人により復興された。本尊は、木造清涼寺式釈迦如来立像(重文)。その他にも、愛染明王坐像(重文)、文殊菩薩騎獅像並びに四侍者像(重文)、興正菩薩像(国宝)、金銅透彫舎利塔(国宝)など、寺宝が多い。
 本堂前には東塔跡があるが、これは当初八角七重塔として設計されたが、後に四角五重塔とされた経緯がある。後に焼失し、現在は塔跡のみを残す。
(写真提供:西大寺)

西大寺奥の院(法界躰性院)

躰性院

 西大寺中興の祖、興正菩薩叡尊上人は、1290年に90歳で亡くなり、この躰性院に葬られている。叡尊の五輪塔は非常に大きく、二重の基壇と合わせると高さはおよそ5mとなり、五輪塔としては日本最大級の鎌倉時代の代表的秀作と言える。
 躰性院の本尊は地蔵菩薩立像で、境内は国の特別史跡。

菅原天満宮

菅原天満宮梅

 菅原家発祥の地に鎮座する日本最古の天満宮。道真公生誕地としても伝承があり、神社の東100mに産湯池としての遺跡「天神堀」がある。道真公が愛した梅の花を展示する盆梅展や、鷽にまつわる神事「鷽替え神事」・奈良筆祭り(筆供養)などが執り行われ、菅原家・道真公ゆかりの地であることを強く感じさせる。

喜光寺

喜光寺

 行基によって721年に建立された寺。後に行基はここで亡くなった。行基が東大寺大仏殿建立の際に参考にしたとの伝承から、本堂は「試みの大仏殿」とも呼ばれている。元の名を「菅原寺」というが、後に聖武天皇が現在の名を与えたとされる。
 境内には約250鉢に及ぶ花蓮の鉢があり、6月上旬から8月中旬まで蓮の花を楽しむことができる。

垂仁天皇陵・田道間守命塚

垂仁天皇陵田道間守命塚

 垂仁天皇陵は前方後円墳で墳長は227m。濠に浮かぶ島は田道間守の墓と伝えられている。
 田道間守は、天皇から不老長寿の薬となる非時香菓(トキジクノカグノミ)を常世の国から持って帰るように命じられ、10年の後ついに手に入れて帰ってきたが、既に垂仁天皇は崩御されていた。それを知った田道間守は、悲しみのあまり絶命したため、田道間守を哀れみ、垂仁天皇陵の側に葬ったとの伝承が残っている。
 なお、非時香果は現在の橘のことである。

唐招提寺 西方院

唐招提寺西方院

唐招提寺中興の祖「覚盛」・西大寺中興の祖「叡尊」らと共に戒律を学んだ「慈禅」によって創建された。収蔵庫には、快慶晩年の作品である「木造阿弥陀如来立像」が安置されている。
拝観には、事前に連絡が必要。連絡先は、唐招提寺(0742-33-7900)。

三松寺

三松寺

 永平寺より参禅道場として認可された寺で、大和盆地では、唯一の「行学一致(修行と学問を一致させること)」の学問場としても知られている。現在、「公益財団法人 大和文化研修道場」として、合気道・剣道・空手・書道・茶道等の教室を、幼稚園~大人までを対象に開いている。
 奈良時代に創建され、江戸時代には、郡山城主であった本田家がこの地に寺を移し、家臣の菩提寺とした。「縁切り地蔵」として知られる「お艶地蔵尊」が伝わる。
 お艶さんは、当時の郡山城の城代家老(※)が江戸詰めをしていた際に世話役だった女性。城代家老が奈良へ帰る際に、箱根の関所で同行を許されず芦ノ湖で入水。白蛇となって城代家老を悩ませた。お艶を不憫だと思った城代家老の正妻が、三松寺住職の導きにより地蔵尊を作ったところ、それ以来白蛇は現れなくなったという。
(※)城代家老:江戸時代、城持ち大名の留守中、城主に代わって城を守り、政務を司った家老。