1泊2日で聖徳太子ゆかりの地を歩く

  • 信貴山朝護孫子寺
  •  斑鳩町から平群町までの、聖徳太子ゆかりの地を1泊2日で歩くコースです。1日目はJR法隆寺駅からスタートし、斑鳩町の中宮寺・法隆寺などを通り、三郷町の龍田大社を巡ります。その日の宿泊は、ぜひ信貴山朝護孫子寺周辺で。次の日は早起きして、朝の朝護孫子寺を楽しみましょう。毎朝行われる勤行に参加できるほか、本堂からの眺めもよく、朝から清々しい気持ちになれること間違いなし。その後は道中にある見どころや立ち寄り所を巡り、近鉄竜田川駅でゴールとなります。

中宮寺

中宮寺

 聖徳太子が、母の穴穂部間人皇后の宮を寺に改めたと伝わる飛鳥時代創建の寺院で、室町時代に尊智女王が入寺以来、尼門跡寺院となり、1400年もの永きにわたり、法統(※)が守られています。
 本堂には“世界三大微笑像”といわれる国宝の木造菩薩半跏像が安置されています。右足を左膝の上にかけ、左手は右足首に添え、右手は肘を右膝の上について指先で軽く右頬にふれる姿をしており、半跏思惟の相といいます。寺伝では如意輪観音と称しています。
(※)法統…仏法の伝統

法隆寺

法隆寺

 用明天皇自らが、ご病気の平癒を祈り薬師如来と寺の造営を発願されましたが、まもなく崩御されたため、推古天皇と聖徳太子がそのご遺志を継いで607(推古15)年に「寺」と「薬師如来」を造られました。
 1993(平成5)年12月、姫路城とともに日本で初めてユネスコ世界文化遺産に「法隆寺地域の仏教建造物」として、法起寺とともに登録されました。

藤ノ木古墳・斑鳩文化財センター

藤ノ木古墳

 藤ノ木古墳は、法隆寺の西約400メートルに位置し、昭和60(1985)年より発掘調査が行われ、石室内からは朱塗りの家形石棺とともに素晴らしい金銅製馬具類・金銅製冠・大刀などの副葬品が出土しました。また、石棺内は盗掘を受けず、埋葬当時のままでしたが、被葬者は現在も謎に包まれており、古代のロマン誘うところです。
 2008(平成20)年、藤ノ木古墳の整備が完了しました。
斑鳩文化財センターは、斑鳩町の文化財調査・研究及び情報発信の拠点として藤ノ木古墳から出土した代表的な副葬品のレプリカの展示や映像による解説などにより、藤ノ木古墳について解りやすく案内しています。

龍田の町並み・龍田神社

龍田神社

 奈良街道・当麻道の道筋に龍田神社を中心に「龍田市」として栄えました。郡山に次ぐ賑わいであったといわれ、商家や旅籠が軒をつらねたといわれます。その中にある龍田神社は、法隆寺の鎮守社であり、聖徳太子が法隆寺を建立するのにふさわしい場所を探しておられたとき、龍田明神が白髪の老人の姿になって告げたという伝説が残っています。また、この地域で活躍していた猿楽の「坂戸座」が、能楽金剛流のルーツとされ、境内には「金剛流発祥之地」碑が建っています。

龍田大社

龍田大社

 歴代の朝廷からも深く信仰された由緒ある神社で、天御柱命(志那都比古神)と国御柱命(志那都比売神)をお祀りしています。祭神は、別名を龍田神・龍田風神ともいい、社伝によると、崇神天皇の御代に凶作が続いたとき、夢でこの風神のお告げをうけて創建されたということです。延喜の制では名神大社に列し、古くから五穀豊穣・航海安全に霊験ありとして崇敬を集めています。旧社格は最高の官幣大社。675(天武4)年から営まれているという風鎮祭が毎年7月第1日曜日に行われ、風鎮太鼓や風神花火を奉納します。

信貴山朝護孫子寺

信貴山朝護孫子寺

 聖徳太子が対物部守屋との戦で毘沙門天王を感得、軍法を受けて崇仏派が大勝したことから、「信ずべき、貴ぶべき山」として信貴山と命名し、信貴山寺を創建したと言われる。中興の祖、命蓮上人が平安時代に信貴山朝護孫子寺を拠点に布教する。命蓮上人の事績を描いた国宝「信貴山縁起絵巻」は当時の民衆の習俗や自然風景が克明に描かれ、美術史のみならず史料的価値も高い。

信貴山奥之院

信貴山奥之院

 本尊は秘仏の毘沙門天立像。物部守屋征伐の時に聖徳太子軍の先頭に立って奮闘し汗まみれになったと言われ、「汗かきの毘沙門天」と称されており、厚い信仰を受けている。境内奥の「聖地」から炭化した籾米が出土し、「焼き米」として珍重されている。