聖徳太子ゆかりの寺院と歴史の変遷をたどる

  • 世尊寺
  •  飛鳥時代に建立された古刹をはじめ、様々な時代背景を持つ寺院・仏像などを巡るルートです。一番の見どころは、かつて吉野寺・比曽寺・現光寺・栗天奉寺(りってんほうじ)と呼ばれ、太子信仰の象徴である太子堂も残る世尊寺。平安時代から室町時代に造られた仏像群が安置される妙楽寺や、江戸時代の旅行案内書に登場する椿の井戸が残る水分(すいぶん)神社も見逃せません。寺院や仏像を眺めながら、歴史と禅の心に思いを馳せてみてはいかがでしょう。
     ウォーキングの後は、地域の特産品を取りそろえた道の駅でご飯を食べたり、お土産を購入したりすることもできます。

伊勢南街道(和歌山街道)の町並み

伊勢南街道

 伊勢南街道は、和歌山県から奈良・三重県境の高見峠を越えて、三重県松阪市へ向かう和歌山街道の別称。大淀町内では、吉野川北岸に沿って東西に通じる約10kmがそれにあたる。
 江戸時代の半ば頃から、「おかげまいり」と称して熱狂的な伊勢参りが流行したが、この伊勢南街道もその旅人たちで賑わったと伝わる。

水分(すいぶん)神社と椿の井戸

水分神社

 いかだ乗りの神様とされる神社。本殿へ続く62段の石段には、明和4年(1767年)の銘が刻まれた比曽石(大淀町内でとれる石英安山岩)が使われている。
 水分神社の鳥居の脇にある「椿の井戸」は、江戸時代に刊行された旅行案内書である「大和志」に名前が記されている。道中の旅人たちが、喉の渇きを癒したのだと想像される。

世尊寺(比曽寺跡)

世尊寺現光寺縁起絵巻阿弥陀如来坐像

 境内に、国指定史跡である吉野最古の古代寺院・比曽寺の跡が残る。比曽寺の創建は多くの謎に包まれているが、奈良時代(8世紀頃)には、東西に塔を配置する薬師寺式の伽藍があったと考えられている。
 比曽寺は、日本書紀の欽明天皇14年(553年)条に示される「吉野寺」だとされており、「吉野」の地名の発祥になったとの説もある。また、平安時代には「現光寺」とも呼ばれ、吉野地域を代表する仏寺巡礼地のひとつとして知られていた。
 世尊寺境内には比曽寺の塔跡の礎石が残されており、東塔跡に建っていたとされる、高さ約25mの鎌倉・南北朝時代の三重塔は、豊臣秀吉によって伏見に移された後、徳川家康によって滋賀県の三井寺に寄進され、現在は国の重要文化財となっている。
※建物内の拝観をご希望の場合や、説明をお聞きになりたい場合は事前にご連絡を。
TEL/0746-32-5976(世尊寺)
◆太子堂◆
 太子信仰の象徴で、県指定文化財。高さは礎石から棟まで約7.8m。創建年代はわかっていないが、建物の軒丸瓦には、後醍醐天皇から賜った寺名である「栗天奉寺(りってんほうじ)」の「栗」の字が残されている。また、角屋の鬼瓦には享保7年(1722年)の銘が、棟の鯱瓦には寛政8年(1796年)の銘があり、同年の修理札も見つかっている。
◆阿弥陀如来坐像◆
 世尊寺の本尊。日本書紀によると、欽明天皇が命じて造らせたもの。
◆木造十一面観音立像◆
 木造の十一面観音像としては吉野で最も古く、高さ約2.18mの奈良時代の巨像。県指定文化財。
◆現光寺縁起絵巻◆
 飛鳥時代の創建から鎌倉時代の再興までの現光寺(比曽寺)の縁起が記されたもの。県指定文化財。(模写本のみ公開。)

妙楽寺

妙楽寺

 室町時代に創建されたと伝えられる寺院。下記の仏像は、大淀町内の安佐谷の寺から移されたもの。
※建物内の拝観をご希望の場合や、説明をお聞きになりたい場合は事前にご連絡を。
TEL/0746-32-0715(妙楽寺)
◆薬師如来坐像◆
 薬師堂の本尊。室町時代の作とみられる。
◆十一面観音立像◆
 高さ約1.95mの、装飾を一切省いた、素朴な一木造の巨像。平安時代後期の作とみられる。
◆地蔵菩薩立像◆
 一木造の技法で造られている。平安時代後期の作とみられる。

道の駅吉野路大淀iセンター

道の駅吉野大淀iセンター

 吉野杉の持つ木のぬくもりを生かしたこのセンターは、奈良県南部の玄関口にある「道の駅」として知られている。 屋根から突き出た2つのトップライトは、修験者の額につける「頭巾(ときん)」をイメージし、情報コーナーでは、吉野地方の歴史・文化・観光案内の他、道路・気象情報の提供も行っている。
営業時間/8:30~17:00(平日) 8:00~17:00(土・日・祝)※売り場により異なる
(季節により変更あり)
休業日/火曜日(祝日の場合はその翌日)