上方落語家が歩く、平成の伊勢参りの道

文=桂歌之助

(かつら うたのすけ) 上方噺家。2007年に3代目桂歌之助を襲名。上方落協会会員 。歩く旅が趣味で、2005年には「平成の伊勢参り」と題し、7日間かけて大阪・玉造から伊勢神宮への伊勢本街道170キロを歩いた。

落語には「東の旅」という、伊勢参りの道中を描いた噺(はなし)がある。長大なネタで、普段は場面毎に独立した噺として口演されるが、特にその旅立ちの場面は口さばきに良いというので入門して最初に習う事が多い。その噺を実体験するべく、私は5年前に大阪は玉造(たまつくり)稲荷神社から伊勢神宮まで七日かけて歩いたのだが、今回その一部を再び訪ねる事となった。

師走の中頃、雨上がりの曇天の下、午前8時に近鉄榛原(はいばら)駅を出発。商店街を抜けると突然古い町並みが現れるが、旧旅籠の「あぶらや」はそんな中にひっそりと佇んでいる。この一軒でこの街の歴史の長さを感じるには十分である。宇陀(うだ)川を渡った所に墨坂(すみさか)神社。白壁と朱色の柱が鮮烈。境内にいると起き出した街の音が遠くに聞こえる。前回見えた大和富士は垂れ込めた雲がかかって見えず。ここから数分も歩くと街の気配は無くなる。高井の集落で街道は左に折れるが、次第にみぞれ混じりの小雨が降り出す。トホホ。

札の辻近くの石灯籠

札の辻近くの石灯籠

街道は、旧旅籠が残る宿場を行くかと思えば、人気の無い山中に私達を導く。この辺りから時間の流れが緩やかになり、昔の旅人と同じ風景の中に身を置く事になる。万本の杉の中に威風堂々と立つ高井の千本杉が5年ぶりに私を迎えてくれた。数本の逞(たくま)しい幹はその全てが一つの根から生えている。広がる枝は何とも魅惑的。せせらぎの音と共に続いていた心地良い山道は徐々に狭く急になってくる。いつの間にか周りは雪景色。今日越える最初の峠にあたる石割峠は、右足は上り左足は下りと、一足でまたげる三角形の頂点の様。雨の中休憩もできない、誠に愛想のない峠である。

今回の行程では、杉林の中の峠を越えて暫く下ると、大抵山間の集落に出る。そこには川が流れ、段々の田があり、家屋が点在する。これは日本の原風景で、特に上田口の情景は抱き締めたくなるほど懐かしく感じる。落語の「東の旅」では、旅人が狐に騙される場面(七度狐)があるが、黒岩の集落にあるススキ野原はその現場に違いない。草の陰から狐がこちらを窺っていそうだ。ここから街道は右に折れ山中へと進むが、その角にあるのが「行悦(ぎょうえつ)の道標」。昔の僧である行悦が建てたもの。現在も新たな道標が多数見受けられ、特に道が定かでない山中では役立つし、何より安心感を与えてくれる。

札の辻石碑

札の辻石碑

山粕(やまかす)峠、鞍取(くらとり)峠は共に多少平らな場所があり、その昔、茶店等で賑わった光景が想像できる。しかし今は杉林の真只中。吹き抜ける風がその光景を消し飛ばす。三重県では年中連縄(しめなわ)を飾るが土屋原でも所々でそれが見られる。また、この地にある春日神社の本殿は伊勢神宮と同じ神明造(しんめいづくり)。これらを考えるとこの辺りが文化の境界か。昔の旅人は大阪から遠く離れた地に来た事を実感しただろう。春日神社の境内にあるオオイチョウは必見。野太い幹にこれまた太い枝があらゆる方向に奔放に伸び、更に細い枝が無数に広がる。真下から見上げると圧倒的な姿で覆い被さってくる。菅野の集落に入ると今度は「四社神社上棟祭」と書かれた木槌が玄関に飾られている。その神社は巨木で囲まれ、境内には天然記念物の菊花石(きくかせき)がある。次第に山の中へ入る事はなくなるが、民家を眺めながら歩くのも楽しい。赤い実を零れんばかりに付けた南天。積み上げられた薪。軒下にぶら下がる大根や柿。人々の変わらぬ営みが新鮮に映る。
牛峠、佐田峠と越えるがどちらも舗装路で、今までの峠と味わいは随分異なる。この辺りまで来ると流石に疲れてくるが、街道はここで粋な演出を用意している。佐田峠を越えて現れる大洞山だ。道が下りになってホッしている所でこの山の姿にはため息が出る。
そして近づく程にその美しさが味わえる。その先にある丸山公園は小高い丘が桜の木々で被われ、また春に来たいという気にさせられる。来た道を少し戻りながらゴールの敷津バス停へ。すぐ側にある道の駅「伊勢本街道御杖(いせほんかいどうみつえ)」は市場あり温泉ありで楽しい。
私も冷え切った体を湯に浸したが最終のバスの時刻が迫り、僅か10分のカラスの行水となってしまった。

※この紀行文は2009年11月取材時に執筆したものです。諸般の事情で現在とはルート、スポットの様子が異なる場合がありますので、あらかじめご了承ください。

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