【宇陀松山】趣ある宇陀松山のまち並みを歩き町家の風情を感じる
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「森野旧薬園」から北に数メートルの位置には、「林家住宅」がある。こちらは、文政11年(1828年)の棟札が残る大型の町家で、元の屋号は「拾生屋(ひろうや)」。しかし、「多葉粉屋」と言っていた時期も長く、当時はその読み通りタバコを扱っていたらしい。間口が9間(約16.4メートル)と大きく、3列9室を基本とする間取りで、新座敷が鍵の手に突き出している。3列目に入るための座敷玄関があり、当初は2列6室であった町家に、3列目と新座敷を増築したと考えられている。
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「林家住宅」の向かいにある「黒川本家」の建物は、
・前後二方向のみに勾配がある “切妻屋根”
・天井が低く虫籠窓がある “つし2階”
・江戸時代初期より一般的となった、1枚1枚の瓦の前後左右を重ね合わせた “桟瓦葺(さんがわらぶき)”
・建物の長辺側に入口がある “平入”
で、間口10間半(約19メートル)、2列5室の間取りで前土間がある。
南3分の1を貸家とした子持ち長屋で、建物の右側に前庭付きの座敷列をもう1列持ち、規模が小さい左側を貸家としていた。火災除けのお札である愛宕祈祷札には寛政3年(1791年)とあるが、実際にはこれよりも古い建物とのこと。「黒川本家」は代々葛を扱う商いをしており、明治初期からは宮内庁の御用達となっている。また、作家の谷崎潤一郎も愛した店という。
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「都司家住宅」手前にある参道から「神楽岡神社」へ。石段を登りきった入口部分には、木肌が見てとれる木製の鳥居があり、なんとも趣がある。宇陀松山のまち並みを見渡せる境内は木々に囲まれベンチも置かれているので、歩き疲れたらここで少し休憩するもの良いのでは。なお、同神社の祭神は天照大神。境内には柿本人麻呂が詠んだ歌の歌碑が設置されている。
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「黒川本家」を北に80メートルほど歩くと、「神楽岡(かぐらおか)神社」へと登る参道がある。その参道入口の角地にあるのが、「都司家住宅」。主屋には明治4年(1871年)の愛宕祈祷札があり、明治元年頃の建築と伝わっている。屋号を「更紗屋(さらさや)」といい、辻本姓を名乗っていたが、その後都司姓となった。2列6室タイプを基本とした間取りで、土間側に広縁を持ち、1列目表には座敷玄関がある。宇陀の領主であった秋山氏の菩提寺・慶恩寺の晋山式の時には、都司家が僧侶の支度控えに利用され、この玄関から僧侶が出入りしたという。
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歩く際の楽しみ方
歩く際の楽しみ方
宇陀松山のまち並みには、酒蔵や醤油蔵、和菓子屋などが点在しており、そのどれもが宇陀の地にちなんだものを製造・販売している。吉野葛や日本酒も、この地域だからこその品。これら宇陀松山の「ならでは」に注目してほしい。
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- 宇陀松山情報 -
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近鉄「榛原駅」から奈良交通バスで15分、「大宇陀」下車
※バスの運行情報につきましては、必ず奈良交通のホームページをご確認ください。
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0745-87-2274(松山地区まちづくりセンター「千軒舎」)
受付時間/9:00~17:00(12月29日~1月3日を除く)