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【宇陀松山】趣ある宇陀松山のまち並みを歩き町家の風情を感じる
宇陀市南西部に位置する「宇陀松山地区」は、周りを山々に囲まれた辺境の地でありながら、京都・奈良・伊勢をつなぐ交通の要衝だったことから、古くから発展していた。江戸時代頃からの古い町家が並ぶ同地域が、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されたのは平成18年(2006年)のこと。約17ヘクタールの保存地区に、244件(建築物128件、工作物88件、環境物件28件)の対象物件がある。「松山町」が宇陀松山城の城下町として成立した江戸時代からの、長い時代の影響を受けたまち並みであるため、そこに建つ町家にも、それぞれ異なる時代の特徴を見ることができる。
イメージ:【宇陀松山】趣ある宇陀松山のまち並みを歩き町家の風情を感じる
良質な水があり、また寒冷地でもある宇陀松山は、日本酒づくりに最適な土地。そのため、この地域には古くから、いくつかの酒造があった。地区の中心を南北に走る通り(旧伊勢街道)の南端は酒蔵通りと呼ばれ、今も数軒の酒蔵が営まれている。
道の駅「宇陀路大宇陀」から東へと向かい、一つ目の交差点を南に曲がって酒蔵通りに入るとすぐに「久保酒造」がある。黒漆喰の外壁が美しく、主屋の入口には造り酒屋であることを示す “杉玉”が掛けられている。「久保酒造」は元禄15年(1702年)に創業。建物は明治42年(1909年)に建て替えられたもので、“酒屋格子” と呼ばれる堅固な格子や、大型の町家に見られる、堀を保護する役割の “犬矢来” が設けられているなどの特徴を持つ。
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「久保酒造」から酒蔵通りをさらに南へ。二段の “うだつ” があがった「芳村酒造」の建物は、昭和16年(1941年)築と年代は新しい。 “うだつ” とは、家屋の屋根に取り付けられた防火壁のこと。黒漆喰の壁に、格子や前栽といった伝統的要素を持っている。町家の壁には黒いものや白いもの、若草色など様々の色があるが、「久保酒造」と「芳村酒造」はどちらも黒。黒い壁は、格式の高い家に使われていたとも言われている。
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酒蔵通りを引き返し、北へと進む。「赤砂利」交差点を過ぎてしばらく歩くと見えてくるのが、「森岡家住宅」だ。この建物の入口は “妻入” になっている。 “妻入” とは、長方形の家屋の短辺側に入口を設けることで、松山地区では珍しい造りだ。表側の屋根は “入母屋造り” で、上部が二方向のみに勾配を持ち、下部は四方向に勾配を持つ。また、主屋は大正時代末期に建てられたものだ。昭和10年(1935年)頃に料理旅館「森藤」を創業し、その際に主屋の奥に離れが増築された。その後旅館は廃業し、昭和50年(1975年)頃に診療所を開院。敷地は間口が狭く奥行きが長い。主屋の奥に、庭をはさんで離れが建っている。
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「森岡家住宅」から道を挟んだ向かいには、「森野旧薬園」がある。こちらは、享保14年(1729年)に当時の森野家当主・森野通貞によって開園された。民間の薬草園としては日本最古のもので、大正15年(1926年)に国の史跡に指定されており、今も建築当時の面影を残している。園内には約250種類の薬草が栽培され、四季を通じてさまざまな薬草を観察することができる。
(入園料300円が必要)
>> さらに詳しくはコラム「日本唯一の私営薬園「森野旧薬園」 宇陀松山は薬のまち」へ
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歩く際の楽しみ方
歩く際の楽しみ方
宇陀松山のまち並みには、酒蔵や醤油蔵、和菓子屋などが点在しており、そのどれもが宇陀の地にちなんだものを製造・販売している。吉野葛や日本酒も、この地域だからこその品。これら宇陀松山の「ならでは」に注目してほしい。
>> もっと知りたい!「宇陀松山を歩く際の楽しみ方」
- 宇陀松山情報 -
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近鉄「榛原駅」から奈良交通バスで15分、「大宇陀」下車
※バスの運行情報につきましては、必ず奈良交通のホームページをご確認ください。
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0745-87-2274(松山地区まちづくりセンター「千軒舎」)
受付時間/9:00~17:00(12月29日~1月3日を除く)