【室生寺】自然に包まれる女人高野を歩いて感じる四季と心の移ろい
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「鎧坂」を登りきると、向かって右手に「天神社拝殿」、正面には「金堂」、左手には「弥勒堂」がある。「弥勒堂」は鎌倉時代の建築で、屋根はヒノキやサワラの木を薄く割って重ねた杮葺(こけらぶき)。周囲には縁をめぐらせている。内陣には「弥勒菩薩立像」や国宝「釈迦如来坐像」などが祀られており、屋根裏からは籾塔(もみとう)
という木製の小塔が多数発見されている。
「弥勒菩薩立像」は、室生寺の仏像の中で最も古い。奈良時代から平安時代にかけての仏像で、榧(かや)の一本造。本体はもちろん、蓮華座の上半分と両手・天衣・飾りまで含め、すべて一つの木材から彫り出されている。正面から見ると、腰のあたりを少しだけ曲げた姿勢をしているのも特長。
国宝「釈迦如来坐像」は、平安時代前期に造られている。同時代前期の仏像彫刻の中でも、特に優れた仏像として有名。頭部には螺髪がなく、これは昔、この仏像が撫で仏として信仰されていたことによるという。大小の波が打ったような衣の表現も、翻波式衣文(ほんぱしきえもん)と呼ばれる特長的な技法をもって彫られている。
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「弥勒堂」の反対側に目を向けると、「天神社拝殿」がある。その脇には、大きな岩が。この岩に近づいてみると、軍荼利明王(ぐんだりみょうおう)が彫られているのがわかる。軍荼利明王は、密教において宝生如来の教輪転身とされており、さまざまな災いを取り除いてくれるという。一般的には腕を8本に表現されることが多いが、この「軍荼利明王石仏」の腕は10本。
この場所に巨岩があること、また軍荼利明王が彫られていることについての詳細は不明だが、4年に一度、庚申の日に町の人々がこの「軍荼利明王石仏」を拝みに来ることが、この地域の習わしになっているという。
「軍荼利明王石仏」は、「天神社拝殿」の脇にある巨岩に彫られている。
拝殿の奥には天神社が見える。
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「鎧坂」から正面に見えるお堂は、国宝に指定されている「金堂」だ。平安時代初期の建築だが、江戸時代に増築もされている。「金堂」の屋根を、横から見ると、内陣に安置された仏像を拝むためのスペースが追加されていることがよく分かる。
この後に見る「五重塔」とともに、平安初期の山寺の仏堂としては日本唯一のもので、非常に貴重な建築物として高く評価されている。なお、蛙股には薬壷が刻まれてることから、ここはもともと薬師堂であったと考えられ、また内陣に安置されている釈迦如来立像(本尊)も、もとは薬師如来であったことが分かる。
内陣には、向かって右から地蔵菩薩立像、薬師如来立像、釈迦如来立像(本尊)、文殊菩薩立像、十一面観音菩薩立像の五尊像が並び、その手前には十二神将が安置されている。五尊像はそれぞれに大きさや作風が違うことから、本来このお堂には、本尊の釈迦如来、地蔵菩薩、十一面観音菩薩の三体が安置されており、神様の本当の姿は仏様であるという「本地垂迹説」に基づいて、文殊菩薩と薬師如来が追加されたのではないかと言われている。ゆえに五尊像が並ぶには窮屈に見えるが、これもまた迫力がありおもしろい。五尊像のそれぞれが、珍しい板光背をつけていることも特長であり、室生寺特有の貴重な作例として知られている。なお、本尊・釈迦如来立像の背後の板壁には、帝釈天曼荼羅の板絵が隠れている。
「金堂」がもとは「薬師堂」であったことを示す、蛙股に刻まれた薬壷。
「金堂」の屋根を横から見ると、増築された部分の角度に違いが見られる。
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歩く際の楽しみ方
歩く際の楽しみ方
室生寺は、女人禁制の高野山に対し、古くから女性の参拝が許されていたことから「女人高野」として親しまれています。
現在でも女性からの人気は高く、それは春の桜やシャクナゲ、秋の紅葉、さらに屋外では日本最小の五重塔や、やわらかな表情の仏像など、女性の気持ちをなごませてくれるポイントが多いから。いつもではないけれど、参道の途中に散った花びらや落ち葉が、ハート型に集められているなどの遊びごころも。カメラを持って、自然と建築物との調和や、ハート型の花びら・落ち葉を探して、写真に収めながら歩くのもきっと楽しい!
※仏像をカメラで撮影することは禁止されています。境内の建築物や植物、景観以外を撮影することは絶対に行わないでください。