悲恋の影姫伝説が残る、北・山の辺の道を歩く

文=畑 裕子

(はた ゆうこ)作家。一九九三年『面・変幻』(朝日新聞)で第5回朝日新人文学賞受賞。一九九四年『姥が宿』で第41回地上文学賞受賞。近著に『近江戦国の女たち』『花々の系譜—浅井三姉妹物語』(サンライズ出版)などがある。

なだらかな飛火野(とびひの)が若草山、春日山を背景に秋色を深めている。一頭、また一頭と寄ってくる鹿をモデルにカメラを構える年配のグループを眺めながら古代山の辺の道の第一歩を歩む。やがて高畑に居を構えた志賀直哉の旧居が見え、小路は静かなたたずまいの住まいが続く。そんな中、小粋な店が顔を覗かせ、道行く人の心をそそる。学生の頃、よく歩いた新薬師寺への道は今も少しも変わらない。むき出しになった土壁が古の風格を醸し、郷愁を誘う。交錯する思いの中に自分を遊ばせるのも歩く楽しみの一つでもあろう。「歴史の道」の道標をいくつか過ぎ、白毫寺(びゃくごうじ)への道がのどかに続く。これぞ大和路、と感慨もひとしお。

集落の中の細道を抜けると五色椿で知られる白毫寺の石標が目に入る。荒壁の参道を下りてきた女性が「崩れそうで崩れないこの壁」と感極まったようにつぶやきすれ違って行った。鹿よけフェンスを右手に見ながらさらに歩いて行くと鹿野園町(ろくやおんちょう)に出る。畑の畦道を通り、曲がりくねった山裾の細道をさらに進む。この道が「山の辺の道と呼ばれたのが納得できる。奈良盆地の東南の三輪山の麓から東北の春日山の麓まで山々の裾を縫うように通っているのだ。『古事記』の崇神(すじん)天皇の条に「御陵は山辺の道のまがりの岡の上にあり」と記され、また景行紀にも「御陵は山辺の道上にあり」とある。これらの記述が名称の由来となったようだ。道を上りつめた左方に八坂神社があり、奈良の街が見渡せる。「東海自然歩道」や「歴史の道」の道標に助けられながら歩いてきたが、いつしか道は竹藪の中に入っていった。藪を抜け、なだらかな道を下った所に崇道(すどう)天皇陵があり、水をたたえた前池と御陵の鎮まった景色を眺めながら一休止する。道は再び竹藪の中に入り、白い花をつけたお茶の木がまばらに生えていることを発見する。古代の遺伝子を持つ自生の茶の木かもしれないと、一人合点し胸を弾ませる。藪道を出たところが円照寺の広い参道であった。門跡寺院で拝観はできないが尼寺の清らかで静寂な雰囲気に誘われ、門前まで行く。

北山の辺の道

円照寺バス停前を通り、再び山裾の道に入る。坂道を上り峠に立つ。目的地の半分、10キロばかり歩いただろうか。前方に大和高原が果てしなく続く。集落の中の道をひたすら歩いて行くと火の見櫓に出くわす。やがて近在の人々から「高樋(たかひ)の虚空蔵(こくぞう)」と親しまれている古刹、弘仁寺の前に出る。静かな山寺に身を置いていると平安の世に回帰した気がしてくる。
が、秋の日は釣瓶落とし、先が急がれ、早々に発つ。ゆるい上り道を数十分歩くと満々と水をたたえる白川ダムが見えてきた。視界が一挙に広がり、背景の雄大な山並を見つめていると『古事記』の一文が浮かんできた。「大和は国のまほろばたたなづく青垣山ごもれる大和しうるはし」時空を超えた感動がふつふつと沸いてくる。

天理エリア

天理エリア

行く手は再び山裾の道となる。左方にウワナリ塚古墳が、その先右方に石上大塚古墳があり、雑草をかき分けて行くと「東海自然歩道」の道標が見え、ひっそりした道が続く。歩くこと20分余り、車道に出てしばらくすると天理教の施設が見えてきた。はっぴ姿の信者の姿に天理に着いたことが実感される。こんもりとした石上神宮のある布留の森が間近くなった。影媛(かげひめ)伝説で知られる布留の高橋を渡る。

豪族物部氏の娘、美しい影媛を巡って後の武烈天皇となる皇太子と権力者の息子平群鮪(へぐりのしび)が争ったが、媛の心は鮪に傾いていた。怒った皇太子は鮪を平城山(ならやま)に追い詰め殺害した。恋人の身を案じ、影媛はひたすら山の辺の道を北へ走ったが、時すでに遅し。『日本書紀』は泣きながら歌う影媛の歌を記している。私が歩いてきた山裾の道こそ、影媛ゆかりの悲恋の道であったのだ。物部氏の総氏神、石上神宮(いそのかみじんぐう)が夕暮れの中に神々しく鎮まりかえっていた。境内には万葉集に詠まれた「布留の神杉」がうっそうと茂り、歴史の重みと風韻を漂わせていた。

※この紀行文は2009年11月取材時に執筆したものです。諸般の事情で現在とはルート、スポットの様子が異なる場合がありますので、あらかじめご了承ください。

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