紀伊半島の背骨と称される大峯山脈。その北端にある吉野山と南端にある熊野の二大聖地を結ぶ180キロの尾根道が、大峯奥駈道(おおみねおくがけみち)だ。近畿最高峰の八経ガ岳(1914メートル)を中心に広がる山脈の最深部は原始林に覆われ、果てまで続く山塊を見渡しながら歩く。全行程をたどると通常7日はかかる、本格的な山岳ルートだ。また、奥駈道は、6本ある熊野参詣道の中で最も古い信仰の道ともいわれている。道を拓いたとされるのは、修験者の開祖である役行者(えんのぎょうじゃ)だ。伝説によると役行者は、7世紀ごろ、故郷である葛城山で修行を積み、呪術使いとして世間に広く知られていた。鬼人を操り、葛城山と吉野の金峯山(きんぷせん)の間に石橋を架けさせようとした逸話があり、これは、修験道の勢力が葛城山から吉野へ広がっていった様子を語ったものと考えることができる。役行者が、地上で苦しむ世の人々を救うことのできる力強い神仏を得ようと、一千日の修行の末、修験道の本尊である蔵王大権現を祈り出したのも奥駈道が通う山上ヶ岳だった。行者たちにとって、開祖の開いた霊場が点在する奥駈道は最高の修行場であり、千三百年の歴史を持つ修験道の根本道場なのだ。