ルート概要
郡山の城下町としての歴史は、戦国時代に筒井順慶(つついじゅんけい)が郡山城を築城してから。その後、天正13年(1585)には豊臣秀吉の弟・秀長が紀伊、和泉、大和3国100万石の太守として入城し、大繁栄の時をむかえる。この時の大規模な築城と町の形成が基となって現代に残る。JR郡山駅から北へ向かい、バス道路を西に折れると、近鉄線の先に濠と石垣が見えてくる。濠に沿って東に歩き、郡山天理教前のバス停を南に入る。道なりに歩くと城跡公園に突き当たり、西の門から城内へ入る。本丸濠を隔てた北側には天守閣跡が残る。柳沢文庫(やなぎさわぶんこ)の見学後は町歩きへ。町には紺屋町をはじめ、錦町、鍛冶町など城下ならではの名がそのまま残っている。また春には城跡一帯で1000本もの桜が咲き、ひときわ華やかになる。