城下町・大和郡山を歩く

文=安部龍太郎

(あべりゅうたろう)作家。『師直の恋』で文壇デビュー。1990年に発表した『血の日本史』(「日本史 血の年表」改題)で注目を集める。2004年、『天馬、翔ける』で中山義秀文学賞を受賞。関西の城郭についての造形が深く、城跡めぐりなどの著書も多数。

倭(やまと)は国のまほろばたたなづく青垣山籠れる倭しうるわしそう詠ったヤマトタケルの時代以来、奈良盆地は日本の中心だった。北は京都、西は大阪、東は伊勢、南は和歌山。いずれにも通じる交通の要地でもある。都が京都にうつされた後も南都と呼ばれ、興福寺を中心とする仏教勢力が国を治めてきた。ところが中世が終わりをむかえる戦国時代になると、さしもの仏教勢力もおとろえ始め、筒井、越智、十市(といち)、古市(ふるいち)、箸尾(はしお)の五大豪族が台頭し、それぞれに城を築いて激しい争いを繰り返した。筒井氏は大和郡山市の筒井城を拠点とし、戦国末期には筒井順慶が出て大和の覇者となった。越智氏は大和盆地の南部にある高取城を詰めの城とし、南北朝時代には吉野にこもった南朝方の忠臣として名を馳せた。十市氏の拠点は、天理市柳本町にある龍王山城である。北域と南域を尾根の道でつないだ規模は壮大で、大和の中心部に勢力をはった十市氏の実力のほどをうかがわせる。古市氏は奈良市古市町にある平城(古市城)に拠って市場の支配を続けたし、箸尾氏は北葛城郡広陵町にある環濠集落を城郭化して河内方面にまで勢力をのばした。五大豪族の中で勝ち残ったのは筒井氏だったが、その頃には河内、摂津に勢力をはる松永弾正久秀が信貴山城を拠点として筒井領に侵攻してきた。

郡山城跡

郡山城跡

将軍義輝を殺し、東大寺大仏殿を焼き払ったことで知られる梟雄(きょうゆう)久秀は、奈良市内に多聞(たもん)山城を築き、またたく間に大和一国の支配者となった。彼が工夫した銃撃戦用の長屋型の櫓は、多聞櫓(たもんやぐら)の名で全国の城に採用されるようになった。
また軍事拠点とした信貴山城と多聞城の間につなぎの城をいくつももうけ、他勢につけ入る隙を与えなかったが、天下統一をめざす織田信長が筒井順慶を重用するようになったために、久秀は天正5年(1577)10月に信長軍と戦って信貴山で討死した。

それから8年後、秀吉の弟・豊臣秀長が大和郡山城に入った。大和、紀伊、和泉を領する秀長は、筒井氏の支域にすぎなかった郡山城を、百万石の大大名にふさわしい巨大な城に作りかえた。日本でも有数の規模を誇るこの城は、今では忘れ去られたようにひっそりとたたずんでいるが、つぶさに歩けばものすごさがよく分かる。

羅城門跡

羅城門跡

何より素晴らしいのは、平城でありながらまわりの池をたくみに利用して防御機能を高めた縄張り(設計)である。わずかに高台となっている本丸は深い堀で二分され、極楽橋によってつながれている。大手門である梅林門の枡形(ますがた)の構えは大きく、周りを取りまく二の丸はほぼ正方形で、どの方向から攻められても即座に対応できるように工夫がこらしてある。城を築いたのは戦国の余塵(よじん)さめやらぬ頃で、高い石垣や深い堀に臨戦態勢をとっていた緊張がうかがえるが、特筆すべきは秀長がすでに平和な時代の到来を見こし、商いや生活に便利なように四方から城下に街道を引き入れ、整然と区画した町を造ろうとしていたことだ。惜しいことに秀長は入封した6年後に他界し、養子となった秀保(豊臣秀次の弟)も文禄4年(1595)に不意の死をとげたために、大和郡山百万石はわずか11年で幕を閉じた。だが秀長の志は重臣であった藤堂高虎に引き継がれ、四国の今治市や伊勢の津市で実を結ぶのである。秀保の後に城主となった増田長盛は、全長6キロにも及ぶ外堀をめぐらし、塀を築いて総構えとした。現在、その多くは宅地などに転用されているが、水路や溜池など昔の面影を残しているところも多い。

そこでこのたび大和郡山市観光協会が中心となって、外堀跡をめぐる散歩コースを作った。石碑や案内板を設置し、ガイドマップを作って、市内の歴史や文化を理解する手助けとしている。過日、このコースを2時間かけて歩き、豊臣秀長の墓である大納言塚に立ち寄った。塚の前には白砂を入れた箱があり、白砂を3度穴に通すと願い事がかなうという。秀長がどれほど庶民に敬愛されていたかを示すもので、頭(こうべ)をたれて心願の成就を祈らずにはいられなかった。

※この紀行文は2009年11月取材時に執筆したものです。諸般の事情で現在とはルート、スポットの様子が異なる場合がありますので、あらかじめご了承ください。

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