集落の中の細道を抜けると五色椿で知られる白毫寺の石標が目に入る。荒壁の参道を下りてきた女性が「崩れそうで崩れないこの壁」と感極まったようにつぶやきすれ違って行った。鹿よけフェンスを右手に見ながらさらに歩いて行くと鹿野園町(ろくやおんちょう)に出る。畑の畦道を通り、曲がりくねった山裾の細道をさらに進む。この道が「山の辺の道と呼ばれたのが納得できる。奈良盆地の東南の三輪山の麓から東北の春日山の麓まで山々の裾を縫うように通っているのだ。『古事記』の崇神(すじん)天皇の条に「御陵は山辺の道のまがりの岡の上にあり」と記され、また景行紀にも「御陵は山辺の道上にあり」とある。これらの記述が名称の由来となったようだ。道を上りつめた左方に八坂神社があり、奈良の街が見渡せる。「東海自然歩道」や「歴史の道」の道標に助けられながら歩いてきたが、いつしか道は竹藪の中に入っていった。藪を抜け、なだらかな道を下った所に崇道(すどう)天皇陵があり、水をたたえた前池と御陵の鎮まった景色を眺めながら一休止する。道は再び竹藪の中に入り、白い花をつけたお茶の木がまばらに生えていることを発見する。古代の遺伝子を持つ自生の茶の木かもしれないと、一人合点し胸を弾ませる。藪道を出たところが円照寺の広い参道であった。門跡寺院で拝観はできないが尼寺の清らかで静寂な雰囲気に誘われ、門前まで行く。