奈良盆地の東に広がる丘陵地帯は、奈良を国中と呼ぶのに対して東山中といわれた。山間に小盆地があり、丘陵の気候は冷涼で、いつのころからか大和茶の栽培が盛んとなった。この山間の小盆地をつたうようにして、奈良町と柳生陣屋を結ぶ「柳生みち(やぎゅうみち)」がある。近鉄奈良駅から興福寺や春日大社を過ぎて新薬師寺の横を通り、能登川の渓流に沿って歩く。この渓流はいたるところに小さな滝をつくっていて、「滝坂道(たきさかみち)」と呼ばれていた。もとは奈良時代からの古道で、笠置(かさぎ)へ続く巨石信仰の道だったのかもしれない。深くえぐれた道には、江戸時代に奈良奉行によって敷かれた石畳が苔むして残り、進むに従って春日山の森の奥深くに入る。柳生みちのハイライトはなんといってもこの滝坂道だ。滝坂道を歩く上での楽しみは、街道のたたずまいもさることながら、道筋にある多数の石仏だ。歌人・会津八一(あいづやいち)が「その表情笑ふが如く、また泣くが如し」と評した夕日観音や朝日観音。誰が名付けたか首切地蔵。そして地獄谷石窟仏(せっくつぶつ)や別名穴仏といわれる春日山石窟仏などの石仏である。多くの石仏は鎌倉時代のものと推定されているが、春日山石窟仏だけはその中の大日如来の銘文から藤原時代(894~1285年)のものであることがわかっている。