奈良県では2024年度より、県の文化施設が連携して1つのテーマに基づいたイベントを実施しています。今年度のテーマは「柿本人麻呂」。トップバッターである文化村は、柿本人麻呂にゆかりのある地を学芸員とともに巡るウォークイベントを開催しました!

やや汗ばむ陽気だった5月5日(月・祝)、JR櫟本駅に抽選を勝ち抜いた20名の参加者が集合しました。学芸員の挨拶を行った後、いよいよ出発です。

最初に到着したのは極楽寺です。天正2年(1574)の開山と伝わる浄土宗寺院で、本尊の阿弥陀如来立像は天理市の文化財に指定されています。12世の観誉上人が復興した縁もあり、廃寺になった柿本寺(しほんじ)の寺宝や人麻呂の彫像や絵画などが所蔵されています。(通常は観覧不可)
本堂にて学芸員からお寺と阿弥陀如来立像にて説明した後、柿本寺や人麻呂の彫像などの文化財を観覧しました。

その後、次の目的地である柿本寺跡と歌塚へ。石見国(現在の島根県)で亡くなった人麻呂の遺髪を妻が持ち帰って埋めたとされる歌塚。その後の人麻呂信仰が進む中で歌塚として広まっていったとされています。その歌塚を中心に広がるのが柿本寺跡です。櫟本町内にはかつて「柿本」という地名があったとされ、人麻呂生誕の地ともされています。記録上では延久2年(1070)にその存在が確認できますが、発掘調査ではそれ以前にあたる、奈良時代末頃の瓦が出土しており、その頃にはすでに存在していた可能性もあります。

途中、柿本寺が移転した場所とされる櫟本小学校を通過。かつての柿本寺、さらには小学校敷地内で見つかったとされる埴輪工房跡の話にもみな熱心に聞き入っていました。


歌塚で、歌塚と柿本寺跡に関する説明に皆さん熱心に聞き入っていました。

柿本寺跡の中には、こんなに大きな石板が!古墳の石室に使用される竜山石(たつやまいし)と考えられることから、石室の一部とみられますが、詳細は不明です。
その後、一同は和爾下神社(わにしたじんじゃ)へ。現在は素盞嗚尊(スサノヲノミコト)を主祭神としている和爾下神社ですが、明治の頃まではこの地域を支配した古代豪族である「ワニ氏」の祖先を祀っていました。そのワニ氏の末裔の1人とされるのが柿本人麻呂です。そのためか、和爾下神社には柿本人麻呂の彫像が1躯所蔵されています。

和爾下神社の人麻呂像を拝観。360度いろいろな方向から観ることはなかなかない機会であり、学芸員の解説を聞きながら人麻呂の姿に熱心に見入っていました。
重要文化財に指定されている和爾下神社本殿も、特別に間近で観覧することができました。
実は前方後円墳(和爾下神社古墳)の上にある和爾下神社。先ほどの石板はこの古墳のものなのでしょうか?

イベントの最後に訪れたのは、櫟本地域最大級の前方後円墳である赤土山古墳。柿本人麻呂と直接の関係はありませんが、人麻呂の先祖に当たるワニ氏の有力者が葬られていた可能性があります。残念ながら築造後の地震で大部分が崩落してしまったのですが、その地震で埋没したことで、巨大な円筒埴輪列が当時のまま残存したという貴重な調査成果を得ることができました。

東側ではたくさんの家形埴輪が復元されています。

2時間半かけて歩き続け、JR櫟本駅で解散。ご参加いただいた皆様本当にありがとうございました!
奈良県文化施設連携企画では、万葉文化館の展示、図書情報館の講座など、「柿本人麻呂」をテーマにこれからも様々な企画が予定されています。柿本人麻呂や万葉集、奈良県の歴史文化に興味のある方は、これを機会に是非、足をお運びください。
また、文化村では今後も様々な展示・イベントを開催していきます。情報は随時HP・SNSにて更新予定ですので、楽しみにお待ちください!