現在、なら歴史芸術文化村の歴史的建造物修復工房では、奈良県文化財保存事務所が田原本町に位置する多坐弥志理都比古神社本殿(おおいますみしりつひこじんじゃほんでん)(県指定文化財)の修理を行っています。
先日、文化財保存事務所の方にご案内いただき、多坐弥志理都比古神社(通称、多神社)の修理現場を見学してきました。
現在、拝殿の奥にある本殿は素屋根に覆われて解体修理が行われています。
写真は今年の6月に撮影したもの。
屋根の銅板葺(どうばんぶき)を剥がすと野地板(のじいた)が見えてきます。
(左奥が解体中の銅板、右手前が野地板。)
さらに野地板を解体すると、旧野垂木(のだるき)と旧野地板が見えてきました。
見学させていただいた時は、この旧野地板の解体作業をしているところでした。
本殿の屋根は昭和52年(1977)に桧皮葺(ひわだぶき)から銅板葺に改変されており、桧皮葺屋根の下地である旧野地板や裏板が一部残っていることを確認できました。
この旧野地板や裏板に、桧皮を固定する竹釘が残っているところも見せていただきました。
修理では、このように部材の年代を調査・記録しながら解体を進めていきます。
また、第一・二殿は墨書から享保20年(1735)に建てられたことがわかりましたが、第三・四殿は建立年代がわかる資料が見つかっておらず不明です。
発掘調査によって、昔は現在の拝殿の場所に旧本殿があったことが明らかになっています。
拝殿は宝暦9年(1759)に建てられましたので、第三・四殿は享保20年から宝暦9年の間に建立されたと考えられるそうです。
現本殿を建てる時に、旧本殿の部材を転用している可能性があり、特に第三・四殿には転用材が多く使われていることがわかりました。
写真中央の四角い穴がある材は、現在、本殿の肘木として使われていますが、この穴は活かされていないため、別の建物の転用材と考えられるようです。
部材をよく見ると、一つひとつに白いラベル(番付札)が貼られています。
文化財の修理では、できる限り部材を再使用することが原則ですので、解体後に元の場所に戻せるよう場所を記載した番付札を貼ります。
現本殿は各殿とも約160種類もの部材で構成されているようです。
全てに番付札を貼り、図面も書いていく作業はとても大変な作業であることが想像できます。
ちなみに、部材の一部が傷んでいる場合はその部分のみを補修して使います。
一方、再使用できない部材は新しい部材に交換し、今回の修理で取り替えたことがわかるよう焼印を押します。
この方法は奈良県では明治30年ころから実践していますが、今では文化庁としてのルールになっているようです。
修理に携わる方からの解説を直接聞くことができて、あっという間に見学時間が終わり、多くのことを学ぶことができました。
ここでご紹介できたものはほんの一部ですので、ぜひ修復工房見学ツアーにご参加いただき、お伝えできればと思います。
また、文化村の工房内では主に年代などを調査し記録する作業が実施されています。
ぜひご来村ください!
※2022年11月23日に修理現場を見学するバスツアーが開催されましたが、現在は多神社本殿の一般公開はしておりません。
※各修理団体の休業日(主に土日祝日)には、原則として修理技術者が不在となります。
なお、作業日においても常時作業が見学できるわけではなく、作業内容によっては修理技術者が不在となる場合があります。あらかじめご了承いただきますようお願いいたします。