キーワードで識る記紀・万葉

鳥

1.この世に光を呼び戻す長鳴鳥の声

天照大御神(あまてらすおおみかみ)が速須佐之男命(はやすさのおのみこと)の悪行に恐れをなして天の石屋にこもってしまったとき、高天原(たかあまのはら)も葦原中国(あしはらのなかつくに)も暗くなり、夜が続きました。すると、神々が騒ぐ声はいっぱいになり、あらゆるわざわいが起こったため、神々は天照大御神(あまてらすおおみかみ)を石屋から引き出そうと、夜明けを告げる雄鶏の声をまねて、常世(とこよ)の国の長鳴鳥(ながなきどり)を集めて鳴かせました。

『古事記』上つ巻 「天の石屋」より

2.に姿を変えて海にもぐった神様

大国主神(おおくにぬしのかみ)が天つ神に葦原中国(あしはらのなかつくに)を譲るとき、櫛八玉神(くしやたまのかみ)を調理人として、天つ神にごちそうを差し出しました。このとき櫛八玉神(くしやたまのかみ)は鵜(う)となって海の底に入り、海底の粘土をくわえてきて、天つ神のための土器をたくさん作りました。

『古事記』上つ巻 「大国主神の国譲り」より

3.神武天皇の大和入りを導いた八咫烏

神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれびこのみこと・のちの神武天皇)が熊野から吉野に入ろうとしたとき、その地には荒れすさぶ神がたくさんいるので、天から遣わす八咫烏(やあたからす)の先導に従うよう、高木大神(たかぎのおおかみ)からのお告げがありました。そこで、神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれびこのみこと)はその教えのとおり、八咫烏(やあたからす)のあとについて行き、吉野川の下流へ至ります。そこからさらに進み、山中を越えて宇陀へ行きました。

『古事記』中つ巻 「八咫烏の先導」より

4.求婚のシーンで詠まれた鶺鴒・千鳥・真鵐

神武天皇が皇后とするための乙女を探していたときのこと。天皇は大久米命(おおくめのみこと)を介して、高佐士野(たかさじの)で遊んでいた伊須気余理比売(いすけよりひめ)に歌を詠んで求婚しました。伊須気余理比売(いすけよりひめ)は大久米命(おおくめのみこと)の入れ墨をした鋭い目を見て、なぜ鶺鴒(つつ=セキレイ)千鳥(ちどり)鵐(しとと=ホオジロ)のように目に入れ墨をしているのか、歌で尋ね、それに対して大久米命(おおくめのみこと)が当意即妙な歌を返すと、「お仕えしましょう」と天皇の求婚を受け入れました。

『古事記』中つ巻 「皇后の選定」より

5.御子が話すきっかけになった

垂仁天皇の第一皇子である本牟智和気御子(ほむちわけのみこ)は、長い髭がみぞおちに届くような大人になるまで、きちんと言葉を話せませんでした。空高く飛んでいく鵠(くぐい=白鳥)の鳴き声を聞いて、初めて不完全ながらも言葉を発しました。そこで天皇は、御子が鳥を見ればまた話すだろうと思い、人を遣わしてその鳥を捕えさせました。

『古事記』中つ巻 「本牟智和気の御子」より

6.死後、白千鳥になって飛び去った倭建命

倭建命(やまとたけるのみこと)が能煩野(のぼの)で亡くなった知らせを受けて、后と御子たちは大和から能煩野(のぼの)に来て御陵を作り、そのまわりを這いずりまわって死を嘆く歌を歌いました。すると倭建命(やまとたけるのみこと)は大きな白千鳥(しろちどり)の姿になって、浜に向かって飛び去りました。后たちが追うと、やがて鳥は河内国(かわちのくに)の志幾(しき)に留まったので、その地に白鳥御陵(しらとりのみさざき)を作りましたが、鳥はそこからもさらに天高く飛び立っていきました。

『古事記』中つ巻 「八尋の白千鳥」より

7.宮中の人々を鶉鳥・鶺鴒・庭雀にたとえた歌

雄略天皇が長谷(はつせ)の枝の茂った木の下で酒宴を催したとき、三重の采女(うねめ)が、落ち葉が杯に浮いているのに気付かず、天皇に大御酒(おおみき)を献上しました。天皇は怒って采女(うねめ)を剣で斬ろうとしますが、采女(うねめ)は杯に浮かんだ葉にちなんで天皇を讃える歌を奉り、罪を許されます。そこで皇后が詠んだ歌に応えて、天皇も酒宴に集まった宮中の人々を鶉鳥(うづらとり=ウズラ)鶺鴒(まなばしら=セキレイ)庭雀(にわすずめ)に喩えて歌を詠みました。

『古事記』下つ巻 「三重の采女」より