ウォーキングコラム

奈良県内 南から北から

2010.07

奈良市正暦寺の西、高樋町で見つけた大きな石碑。そこには、大峯山上登山者の名前が記されていました。
近年道路事情が急激に改良され、移動距離が短縮されたものの「まだちょっと遠い大峯への道。こんな場所になぜこの碑が?」その疑問は、奈良市内「もちいどの通り」で商いをする友人との話の中で解決。「えっ!!!知らなかった!!!そうだったのか!」「餅飯殿(もちいどの)」の名の起こりと繋がりのある話は、奈良県内の南と北を繋ぐ興味深いものでした。




『奈良市 もちいどの通り』&『黒滝村 鳳閣寺』、『十津川村玉置神社』&『春日大社』。『奈良市 東大寺』&『吉野山 金峯山寺』、『明日香村 飛鳥寺』&『奈良市 元興寺』。良く知られている繋がりに加えてエッツ!どういう繋がり?と興味そそられる事柄がいっぱい。その繋がりは、普段見ている奈良の魅力に新しいエッセンスを与えてくれます。奈良県内に残る風情は、歴史・文化の玉手箱ですね。様々な繋がりの話の源が、今も私たちの目の前に当時の風情を残して存在しているのですから。

 
平成16年5月24日奈良女子大学記念館で「吉野楽講座 第二章 ―奈良・吉野心通う世界遺産の道―」と題して開催されたパネルディスカッションで金峯山寺田中利典宗務総長が語られた事を引用させて頂きます。
「飛鳥の時代、奈良の時代、吉野は近くて聖地だったのですが、平安京になってから吉野はずいぶん遠くなるのです。ところが、理源大師が大峯の道を再び開いた事によって吉野が又近くになります。(以下略・・・)」そしてお話しは、大仏様の余りの銅で作られたと伝わる金峯山寺発心門。東大寺修二会の行中読み上げられる神名帳の一番最初に呼ばれるのが金峯山大権現つまり吉野の権現さんである事へと繋がります。かつて奈良県内北と南、先人が紡いた距離は、きっと文化的にもっと近い距離だったのでしょう。今、物理的な距離が道路整備で縮まったにも関わらず、北と南、人々の精神的な距離は、残念な事に遠くなっているようです。

2010年9月1日から12月9日まで吉野の権現さんが特別開扉されます。
あの大きな権現様を前に今一度、奈良の文化とそこに関わった人々の心の繋がり・精神的な距離を考えてみたいと思います。

注:「吉野楽講座」は、平成16年7月に「紀伊山地の霊場と参詣道」が奈良県内で三番目の世界遺産に登録される事の意義を「日本のこころ、道と歴史と文化」をメインテーマとして、吉野楽実行委員会(国土交通省奈良国道事務所・奈良県・奈良市・吉野町・天川村・十津川村)によって、平成16年3月から平成17年6月まで五章にわたり開催されたものです


平成22年7月
奈良インターカルチャー
佐野 純子


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