古墳の魅力新発見!橿原・明日香西部の古墳めぐり

ルート概要

かつて藤原京の置かれた橿原市、日本の古代文明を見事に開花させた飛鳥。これらのエリアに点在する古墳や遺跡をめぐるルート。近鉄橿原神宮前駅の西改札口から133号線沿いを西へ。鳥屋橋を渡りさらに西へ向かうと、新沢千塚(にいざわせんづか)古墳群が見えてくる。一帯が史跡公園となっており、丘陵の中に点在する古墳群をめぐった後は、下の千塚資料館へ。その後、133号線の南に広がる古墳群を橿原高校の方へ通りぬけると、濠に囲まれた宣化(せんか)天皇陵にたどり着く。南の桝山古墳を見学した後は、再度北の133号線に向かい、来た道を東に戻り、益田大橋の先の交差点を南に行く。白橿中学校前で西の住宅地の方へ曲がる。その後、野辺の道を道なりに進む。お地蔵様の角を右折すると、明日香村の住宅地にたどり着く。横穴式の石室が特徴の岩屋山古墳から近鉄飛鳥駅はすぐだ。奈良盆地の南部に位置する飛鳥は、古代の日本を創り出した政治や文化の中心地。当時の遺跡が多く残る飛鳥を歩くと、古代へのロマンをかきたてられずにはいられない。近鉄飛鳥駅周辺で休憩をはさみ、住宅地を丘の方へ抜けていくとマルコ山古墳にたどり着く。さらに山手の道に入り、民家の角を左に曲がる。住宅や田畑の中を抜けて行くと、束明神(つかみょうじん)古墳のある場所にたどり着く。ここは、天武天皇の第2皇子・草壁(くさかべ)皇子の墓という説がある。さらに道なりに300メートルほど進んだ場所には岡宮天皇陵がある。その後、大通りと交差する場所まで進み、右手に曲がると近鉄市尾駅はもうすぐ。駅周辺には、市尾墓山古墳と市尾宮塚古墳の二つの前方後円墳がある。

作家が歩いた道
スタート:近鉄橿原神宮前駅>新沢千塚古墳群>橿原市千塚資料館>宣化天皇陵>岩屋山古墳>マルコ山古墳>束明神古墳>岡宮天皇陵>市尾墓山古墳>ゴール:近鉄市尾駅

スポット紹介

新沢千塚古墳群

新沢千塚古墳群橿原市南部の貝吹山から南西に延びる低い丘陵上にある総数600基の古墳群。4世紀末から7世紀にかけての古墳群で、日本でも代表的な群集墳である。なかでも500号墳や、ペルシャから運ばれたと思われるガラス器や装飾品が副葬されていた126号墳、多量の武具・馬具が出土した139号墳など、権力と財力に富んだ豪族の墓地であると推測される。造営主は大伴氏か渡来系氏族の漢(あや)氏だと考えられている。
【住】橿原市北越智町・川西町など
【電】0744-27-9681(橿原市 千塚資料館)
【時・休】見学自由

橿原市千塚資料館 *改修工事のため平成26年春頃まで休館

橿原市千塚資料館橿原市内にある遺跡から出土した約460点の遺物を展示する資料館。新沢千塚古墳126号墳から出土した耳飾りなどの金製装飾品(レプリカ)や、弥生時代の遺跡である坪井遺跡の人物線刻画土器(橿原市指定文化財)などの考古資料のほか、農耕具や日用品などの民俗資料も展示している。受付横には、全国各地の博物館の図録や書籍があるので休憩がてら読んでみては。また、資料館の学芸員による考古学講座も開かれている。
【住】橿原市川西町858-1
【電】0744-27-9681
【時】9:00~17:00(最終受付は16:30)
【休】月曜・年末年始(月曜が祝日の場合翌日)

宣化天皇陵

第28代宣化天皇(せんかてんのう)の陵で、別名を鳥屋ミサンザイ古墳という。濠で囲まれた全長138メートルの前方後円墳で、 畝傍山や二上山を望むことができる。宣化天皇は、26代継体(けいたい)天皇の第2子で、27代安閑(あんかん)天皇の同母弟である。安閑天皇に後継ぎがなかったため即位したとされているが、実はこの兄弟は即位しておらず、継体天皇の次は 29代欽明(きんめい)天皇だとする説もある。
【住】橿原市鳥屋町
【時・休】見学自由

岩屋山古墳

岩屋山古墳7世紀前半頃に築造されたと考えられている、大字越にある古墳。被葬者については巨勢雄柄(こせのをから)や斉明天皇、吉備姫王などが候補として挙げられているが現段階では不明。精巧に組まれた石室で知られ、石英閃緑岩(せきえいせんりょくがん、通称・飛鳥石)を用いた全長約18メートルの横穴式石室である。また、石室内からは土師器や瓦器、陶磁器、古銭などが出土している。
【住】高市郡明日香村越
【電】0744-54- 5600(明日香村教育委員会文化財課)
【時・休】見学自由

マルコ山古墳

マルコ山古墳1977年の発掘調査の結果、二段築成の円墳と認識されていたマルコ山古墳。その後、2004年に明日香村教育委員会が同古墳は1辺約24メートルの多角形古墳だったと発表した。八角形墳を天皇か皇太子級の墓と考えると、天皇に近い存在の墓なのでは、と推測される。現在の姿は盛土と石敷き遺構によって当時の墳丘を復元したもの。
【住】高市郡明日香村真弓
【電】0744-54-5600(明日香村教育委員会文化財課)
【時・休】見学自由

束明神古墳

束明神古墳春日神社の境内にある八角形墳。発掘調査では歯牙が検出され、青年期から壮年期の男性のものと推定された。このことから、689年に28歳の若さで亡くなった天武天皇の第2皇子・草壁皇子(くさかべのみこ)の墓という説がある。この説は天武天皇の陵が八角形であることからも有力とされる。また、古墳の周辺から出土した須恵器の破片などからも7世紀後半から末頃に築造されたと考えられる。
【住】高市郡高取町大字佐田
【電】0744-52-3715(高取町教育委員会)
【時・休】見学自由

岡宮天皇陵

岡宮天皇陵宮内庁が治定している草壁皇子の陵で、真弓岡陵(まゆみのおかのみささぎ)とも呼ばれる。死後、草壁皇子は岡宮天皇と追号され、1862年(文久2)頃の治定でその陵墓の場所は束明神古墳から南約300メートルに位置する、高取町大字森の素盞鳴命(スサノヲノミコト)神社本殿のあったところとされた。現在は、考古学的事実と万葉集や延喜式などの文献、伝承から総合的に判断し、束明神古墳が草壁皇子陵であるという説が有力である。
【住】高市郡高取町大字森
【電】0744-52-3334(高取町役場)
【時・休】見学自由

市尾墓山古墳

市尾墓山古墳墳丘の長さ約70メートル、高さ約10メートルの前方後円墳で、市尾官司塚(いちおかんすづか)とも呼ばれる。石室は後円部 に築造された横穴式石室で、長さ271センチメートル、幅133センチメートル、高さ139センチメートルの奈良県下でも最大級の刳抜(くりぬき)家形石棺。築造期は6世紀初頭(古墳時代後期)とされ、被葬者はこの頃に活躍した巨勢氏の一族・巨勢男人(こせのおひと)と考えられている。また、1981年には国史跡に指定された。 
【住】高市郡高取町大字市尾1023
【電】0744-52-3715(高取町教育委員会)
【時・休】見学自由

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