十三街道と業平ロマンの道

  • 十三街道と業平ロマンの道
  • 平群町の西側中央、生駒山地に十三峠があります。ここは大阪玉造から伊勢へと向かう道筋で、「十三街道」とよばれ、平安時代の歌人で「伊勢物語」の主人公ともいわれる在原業平が天理の自宅から河内高安の女性の元に通ったとされることから、「業平道」とも呼ばれています。その道筋をたどり、藤田家住宅、白山神社、杵築神社、十三塚等を巡ります。業平の見た風景に思いを馳せながら峠までの道程を歩いてみましょう。

三里古墳

三里古墳

築造は6世紀後半で全長約35~40mで、前方後円墳もしくは、直径22mの円墳と考えられている。南西に開口する両袖式横穴式石室は、石室の上半部と天井を欠き奥壁に石棚がある。玄室に棚のある石室は県下に3例しかない。玄室西よりに凝灰岩の組合せ式家形石棺、追葬として羨道(せんどう)奥に花崗岩の組合せ式箱式石棺、玄室東側と羨道前面および石棚上下にも木棺が納められており家族墓的な利用が伺える。副葬品として金銅装の馬具や武具、須恵器、土師器が多数出土している。中でも金銅装の馬具は2組あり、1組は精巧な鐘型杏葉9枚と同型の鏡板、花形の飾りと宝珠状の突起をつけた雲珠をもつ豪華な飾り馬具のセット、もう1組はハート形鏡板をもつ装飾性の高い実用的な馬具である。いずれも、6世紀後半の馬具を代表する優品に位置づけられている。県指定史跡。

ツボリ山古墳

ツボリ山古墳

一辺約20mの方墳と見られ、両袖式の横穴式石室である。玄室と羨道に各1基の二上山白色凝灰岩製の刳抜式(くりぬきしき)家形石棺が安置されている。玄室の石棺は身部(みぶ)とともに蓋石の半分が残っている。刳抜式家形石棺は身分の高い被葬者の石棺であることから、被葬者が注目されている。7世紀初頭の築造。石室への入室も可能である。県史跡指定。

藤田家住宅

藤田家住宅

北福貴の高台にあり、南には灰田川の谷を見下ろす要地にある。初期の大和棟を伝える民家として昭和53年に国の重要文化財に指定されている。茅葺、瓦葺、落棟の整った姿で、内部も巨大な梁や桁の組み物、竹天井、竹の欄間、突き止め溝等古い民家の形式を伝え、右手奥に上段の間を配している。屋敷地は後方に小山を配し、南は急斜面を取り込んだ砦的な配置で、帰農以前は武士であった気概が感じられる。藤田家は武蔵国の荘官の出身で鎌倉期に武士化して上杉氏に仕え、武田氏、筒井氏、藤堂氏に仕えた後平群に転封され帰農して庄屋を歴任した。

白山神社(福貴寺跡)

白山神社(福貴寺跡)

祭神はイザナギノミコト、イザナミノミコト。福貴全体の氏神。白山神社は本来、道詮律師の隠居寺であった福貴寺の鎮守社。福貴寺も道詮律師の住坊であった普門院も現在は姿を消したが、盛時には60坊を数えた。境内には弥勒堂、周辺には僧坊跡が残っている。また、境内奥には道詮律師の供養塔が祀られている。道詮律師は平安時代の高僧で隠居後も毎年法隆寺で100か日間三経(法華、勝鬘、維摩)を講じ、現在も「夏安居(げあんご)」として続いている。また、法隆寺夢殿再建に尽力し、法隆寺夢殿には道詮律師の坐像(国宝)が配置されている。

桃源郷 (花の谷)

桃源郷 (花の谷)

平群の花作りは日露戦争前に始まり菊を中心に発展し、昭和になって山を切り開いて木花も栽培するようになった。鉄砲塚池の南の谷で花卉栽培が盛んに行われており、2月から初夏にかけて、梅、レンギョウ、サンシュウ、桃、桜、コブシ、モクレン、山吹などが咲き誇り、写真家や花見の人が繰り出す。口コミもあって、「花の谷」から「桃源郷」とまで呼ばれるようになっている。平群の小菊は夏秋期の出荷量日本一で、ハウス栽培されているバラは「平群ローズ」ブランドで全国展開している。

杵築神社

杵築神社

福貴畑の氏神で祭神は素戔嗚尊。起源や由緒は明らかではない。拝殿横の観音堂の本尊は聖観音坐像で檜の寄木造。天文17年(1548)空阿宿院仏師源次の墨書銘があり平群町指定文化財。本尊左の深沙大将立像は南北朝期の作で奈良県指定文化財。神社入口横の屋形内に永禄11年(1568)の銘がある珍しい一観音六地蔵石仏が祀られている。毎年1月8日には勧請縄の縄ないがここで行われ、南東の勧請地に掛け渡される。

十三塚

十三塚

生駒山地の稜線上、中央高部にやや大きい親塚を配し、南北に6基ずつの小塚が計画的に並んでいる。塚の存在が峠の名前になっている。築造時期や目的は解明されていないが、中世後半十三塚は全国に多数造られ、数少ない完存する十三塚として国の重要有形民俗文化財に指定されている。延長約90m、比高差約7m、親塚は径6m、高さ1m、小塚は径4~5m、高さ0.4~0.8m。中央の親塚の前には合掌した小石仏を刻んだ十三塚の標石がある。

十三峠

十三峠

十三塚のあるこの峠は標高約430mで、中世後半以降は「十三峠」と呼ばれ、大阪と奈良・伊勢を結ぶ山越えのポイントである。峠付近からは河内平野、奈良盆地を一望できる。大阪より奈良見物をしないで伊勢神宮参拝に直行する人々に大いに利用された。この道は別名「業平道」とも呼ばれており、平安の歌人在原業平が天理櫟本(在原神社付近)から斑鳩、平群を経てこの十三峠を越えて、河内高安の女性の元にはるばる通いつめた道ともいわれている。

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