古代豪族・物部氏の里

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  • 縄文時代から近世まで続き、古墳時代には物部氏の本拠として栄えた布留遺跡一帯は、大和政権が確立する時代の神さびた社や古墳などが次々に現れ、訪れる方を神話と伝説の世界へと導いてくれます。

【このルートをおすすめする観光ボランティアガイド】 天理市山の辺の道ボランティアガイドの会

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■ガイド団体紹介
 奈良盆地の東山裾に沿ってのびる日本最古の道といわれる「山の辺の道」は、四季折々に楽しめる自然環境に恵まれた絶好のハイキングコースです。万葉集にも登場する地名や旧跡、そして数多くの古墳が散在する、古代のロマンあふれる「山の辺の道」をはじめ、天理周辺に広がる古里を訪ねて下さる方々に満喫していただけるよう、おもてなしの心でご案内します。 
■連絡先(ガイド申し込み先)
天理市産業振興課(天理市山の辺の道ボランティアガイドの会)
〒632-8555 奈良県天理市川原城町605番地 
電話:0743-63-1001 FAX:0743-62-2880
ホームページアドレス http//www.city.tenri.nara.jp/

石上宅嗣(いそのかみやかつぐ)の顕彰碑

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石上宅嗣は、左大臣石上麻呂の孫で中納言石上乙麻呂の子で、正三位大納言まで昇り、死後に正二位を贈られた物部氏族の総帥です。また、淡海三船と双璧をなし奈良時代後期を代表する文人であったとされます。そしてその彼が創設したのが、我が国初の公開図書館「芸亭」であり、そこには儒教などに関する書物が蔵されていたといいます。
そして、昭和5年に、日本図書館協議会などの発起により組織された「石上宅嗣卿顕彰会」によって、石上氏縁故の地であるこの場所に顕彰碑が建てられました。
天理駅前には、石上宅嗣の墓と思われる杣之内火葬墓から発掘された海獣葡萄鏡のレプリカがあります。 

西山古墳(にしやまこふん)

西山古墳

杣之内町に所在する全長190mの古墳で、3段築成という独特な墳形で、中段及び上段が前方後円形、下段が前方後方形となっています。前方後方墳の古墳としては、全国でも最大の墳丘規模で、年代は、4世紀に築造された古墳時代前期後半の古墳です。国指定史跡。

石上神宮(いそのかみじんぐう)

石上神宮

物部氏(もののべうじ)の総氏神で、大和朝廷の武器庫だったと伝えられる石上神宮。国宝の拝殿は神社建築としては最古のもので、楼門前石段上に建つ摂社の出雲建雄神社の拝殿も国宝です。
約1650年の間、神庫で大切に守り伝えられてきた御神宝の国宝・七支刀(しちしとう)に刻まれた銘文は我が国と4世紀の大陸や半島との外交を考えるうえで、逸することのできない重要な史料です(非公開)。

布留の高橋(ふるのたかはし)

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万葉集「巻12-2997」に登場する「布留の高橋」。石上神宮に近い布留川の渓の深いところに高々と橋が架かっていたであろう描写がなされています。現在も石上神宮東100mほどのところの布留川の小さな滝の下流側に橋が架かり、布留の高橋のプレートが取り付けられています。万葉時代のものと同じ場所かは定かではありませんが、現在考えられている山の辺の道に架かる橋なので、その名前があると考えられます。

厳島神社(いつくしまじんじゃ)

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承応2年(1653年)の棟札に「常蓮寺鎮守一言神」と記され、弁才天女・一言神を祀っていましたが、明治初年に厳島神社と改め、同16年頃に境内の一部が石上神宮の御旅所に指定されました。境内は、社頭が完備され、元禄12年(1699年)に在銘。その他数基の石燈籠があります。室町時代、この布留町に2つの有名な寺があったとされます。それが、「いそのかみ寺」と良因寺です。良因寺は、この厳島神社付近に境内地があり、寺領も1町1反60歩(約4000坪)もあったそうです。また、六歌仙の1人である僧正遍昭(816~890)がこの寺に住んでいたといわれています。

布留遺跡(ふるいせき)

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布留遺跡は奈良盆地東部に位置する、旧石器時代から残る複合遺跡です。昭和13年(1938年)に、末永雅雄博士などによって調査が行われました。古墳時代前期を代表する土師器の型式名である「布留式土器」の名称は、このとき出土した土器につけられたものです。また、物部氏が本拠を置いた集落遺跡で、これまでの調査で祭りや軍事との関わりを示す資料や、玉工房や武器工房との関連を示す遺物や渡来人との関わりを示す遺物なども出土しています。