平群の里と歴史探訪の道

  • 平群の里と歴史探訪の道
  • 生駒山系と矢田丘陵に挟まれた平群町の平坦な地域にある観光名所を巡るコースです。比較的な緩やかな道が多いので、神社・古墳・道の駅と平群町にある幅広い観光名所を一度に訪れることができます。
    神社や古墳を訪れて平群の歴史を満喫し、「道の駅大和路へぐり くまがしステーション」では新鮮な農産物に出会う。歴史と自然あふれる平群町を存分に楽しんでください。

平群町観光ボランティアガイドの会

平群町観光ボランティアガイドの会

■ガイド団体紹介
古代には「辺の国」と呼ばれた「平群」は信貴生駒山系と矢田丘陵に囲まれた位置にあり、歴史と自然が豊かに息づいています。
霊峰信貴山には、国宝「信貴山縁起絵巻」や重要文化財の武具など、多数の文化財が残されています。
また、国史跡指定の烏土塚古墳を初め、西宮古墳、垣塚古墳などたくさんの古墳や、うっそうと茂る木々に囲まれて鎮まる神社など、見どころいっぱいです。
ご要望に応じてオリジナルコースを設定、心を込めてご案内します。
■連絡先(ガイド申込先)
平群町観光ボランティアガイドの会
窓口:あすのす平群(平群町観光文化交流館・図書館)
〒636-0936 奈良県生駒郡平群町福貴1037-2
TEL.0745-46-1120
FAX. 0745-46-1121

ツボリ山古墳(つぼりやまこふん)

ツボリ山古墳(つぼりやまこふん)

一辺約20mの方墳と見られ、両袖式の横穴式石室である。玄室と羨道(せんどう)に各一基の二上山白色凝灰岩製の刳抜式(くりぬきしき)家形石棺が安置されている。玄室の石棺は身部(みぶ)とともに蓋石の半分が残っている。刳抜式家形石棺は身分の高い被葬者の石棺であることから、被葬者が注目されている。7世紀初頭の築造。
石室への入室も可能である。県史跡指定。

紀氏神社 (きしじんじゃ)

紀氏神社 (きしじんじゃ)

祭神は平群氏の祖である木菟宿祢(つくのすくね)で、記紀によれば仁徳天皇から允恭天皇の時代にかけて大臣として朝廷を支えて活躍。紀州で勢力を誇った紀氏と平群氏はともに武内宿祢を祖としており、社名から紀氏の祖先を祀ったとも考えられている。古来、辻の宮、椿の宮ともいわれ、平安時代のころから社格が高かった式内大社。現在は上庄、椣原、西向の三大字の氏神で拝殿の前庭を囲むように三つの座小屋が配されている。

長屋王墓(ながやおうぼ)

長屋王墓(ながやおうぼ)

長屋王は奈良時代初期に活躍した皇親政治家。天武天皇の孫。高市皇子の第一皇子で、藤原不比等の死後左大臣に昇進するが、藤原氏の巻き返しで謀反の罪をきせられ、夫人の吉備内親王と四人の息子とともに自殺に追い込まれ生駒に葬られたとされる。平群梨本に夫人とともに墓があるという江戸時代の伝承にもとづいて、宮内庁が明治34年(1901年)に現在地を墓所に治定した。吉備内親王の墓とともに古墳を再利用した可能性がある。

船山神社と磐座(ふなやまじんじゃといわくら)

船山神社と磐座(ふなやまじんじゃといわくら)

安明寺(あんみょうじ)垣内の春日神社と中之宮(なかのみや)垣内の船山神社を合祀(ごうし)した神社である。船山神(ふなやまのかみ)と天児屋根命を祭神とする。拝殿の右側には立派な陽石がある。
海抜230mほどの急斜面に3つの巨石があり、祭神の船山神が降臨の際に乗ってきた岩船とされる。長さ6~8m、幅2mの神の宿る磐座として信仰の対象とされてきた。式内社。

宮山塚古墳(みややまづかこふん)

宮山塚古墳(みややまづかこふん)

5世紀後半に作られたとされる直径約26m、高さ約7mの円墳で、主体部は南に開口する古式の横穴式石室である。玄室(げんしつ)の四壁は、下半部分は垂直に積まれるが、上半部分は内側に持ち送られたドーム状になっており、明確な天井石はない。近畿地方でいち早く横穴式石室を取り入れた古墳として知られている。
天井付近の一部に崩落があるため、石室への入室はできない。県史跡指定。

道の駅大和路へぐり くまがしステーション

道の駅大和路へぐり くまがしステーション

平群町の情報発信拠点として、観光情報や消費者啓発情報など時期によって様々な情報が発信される。
また、町内の農家から毎朝持ち込まれる新鮮な野菜・花卉が売りの『とれたて市』や平群町だけでなく奈良県の特産品が数多く出揃う『特産品コーナー』も魅力的である。2013年7月にメニューが一新された自然派レストラン『hanana』では新鮮な平群産野菜がたくさん使われたメニューもある。

平群神社(へぐりじんじゃ)

平群神社(へぐりじんじゃ)

大山祇神(おおやまつみのかみ)を祭神とする。延喜式では「祭神は平群神社五座」とあり、式内大社である。古代豪族、平群氏の祖神を祀った可能性も考えられる。割拝殿の前には江戸時代の石灯籠が数基並んでいる。
この地は弥生時代の集落遺跡があった丘陵部分であり、立地的には平群の中心にあたる。

西宮古墳(にしのみやこふん)

西宮古墳(にしのみやこふん)

7世紀中葉に作られたとされる一辺約36m、高さ約7.5mの方墳。三段に築成され、墳丘の全面に貼石が施されている。石室は切石を用いた優美なもので、天井、奥壁、側壁のすべてが一枚石で構築されている。石室内に兵庫県竜山石製の刳抜式家形石棺の身部が残っており、外面の上下に帯状の突帯(とったい)が掘りだされている。
石室への入室も可能である。県史跡指定。

消渇神社(しょうかちじんじゃ)

消渇神社(しょうかちじんじゃ)

室町時代に旅の僧、信海が病に倒れて動けなくなり、土の団子を供えお祈りすると、神の加護により病が治ったとされる。その後、「下の病気」に効くとのうわさが広がり、江戸時代には大阪、奈良、京都方面から、芸妓をはじめ多くの人が参拝したといわれている。
現在も、『土の団子12個を供えてお祈りし、病気が治るとお礼に米の団子12個を供える』という風習が受け継がれている。

石床神社旧社地(いわどこじんじゃきゅうしゃち)

石床神社旧社地(いわどこじんじゃきゅうしゃち)

巨大な磐座を直接拝む古い形式をとどめる古社で、祭神は剣刃石床別命(けんじんいわとこわけのみこと)。越木塚集落の南、井文字川を見下ろす高台に、高さ約9m、幅約21mの巨大な岩「陰石」がある。社殿はなく、この巨岩が石床神社のご神体で、安産や五穀豊穣の神として崇められた。式内大社。