記紀・万葉のロマン満喫 聖徳太子ゆかりの王寺の里

  • 和の鐘(やわらぎのかね)
  • 王寺の里は、聖徳太子ゆかりの達磨寺を始め、桃太郎と卑弥呼のお父さんとされる第7代孝霊天皇陵、数々の万葉歌が歌われた芦田池など、さまざまな歴史スポットが点在する、記紀・万葉のロマンが漂うエリアです。
    奈良県西の玄関口王寺駅から出発して、王寺の里を巡って王寺駅に戻る行程10km・5時間の歴史と自然が満喫できる平成の癒しの観光ルートを歩いてみませんか。

【このルートをおすすめする観光ボランティアガイド】王寺観光ボランティアガイドの会

王寺観光ボランティアガイドの会

■ガイド団体紹介
奈良県西の玄関口「王寺駅」を起点に、聖徳太子ゆかりの王寺の里12コースを案内しています。王寺町は聖徳太子の愛犬「雪丸」を公式マスコットキャラクターに認定、聖徳太子と達磨大師の飢人伝説で有名な「達磨寺」をはじめ、桃太郎伝説のお父さんといわれる「第7代孝霊天皇陵」や日本最古のため池と言われる「芦田池」等、社寺仏閣、古墳、遺跡が点在し、川・山・公園と自然に恵まれ、大阪都心から20分で来ることができる癒しの「新しい平成の観光地」です。
王寺の里をめぐるなら、王寺観光ボランティアガイドの会におまかせ下さい。
■連絡先(ガイド申込先)
 王寺観光ボランティアガイドの会
 〒636-0023 奈良県北葛城郡王寺町太子1丁目12番4号
 TEL.0745-32-5140 FAX. 0745-32-5140
 E-mail : sakamoto@hikarij.com URL. http://www.hikarij.com/jyohou/oji-guide/top.html

達磨寺(だるまじ)

達磨寺(だるまじ)

聖徳太子ゆかりの達磨寺は、13世紀前半に勝月上人が達磨大師の墓であると伝えられていた古墳の上に三重塔を建立して開基。永享2年(1430年)に椿井法眼集慶が彫った本尊の木造達磨坐像、建治3年(1277年)に院恵・院道が造立した木造彩色聖徳太子坐像、寺宝の絹本著色涅槃図、中興記石幢は、ともに重要文化財に指定されている。
達磨寺にまつわる伝説は聖徳太子と飢人伝説。寺内の遺跡や建造物として達磨寺古墳群、聖徳太子の愛犬雪丸像、薬師石、松永久秀の墓、奈良県の指定文化財に指定されている達磨寺方丈がある。

孝霊天皇片丘馬坂陵(こうれいてんのうかたおかのうまさかのみささぎ)

孝霊天皇片丘馬坂陵(こうれいてんのうかたおかのうまさかのみささぎ)

王寺町唯一の天皇陵である。孝霊天皇は、孝安天皇の第1皇子で『古事記』『日本書紀』に記される第7代天皇である。奈良県磯城郡田原本町の黒田廬戸宮で崩御され、この地に葬られたとされる。
また孝霊天皇の子で倭迹迹日百襲媛命(やまとととひももそひめのみこと)の同母兄弟の彦五十狭芹彦命(ひこいさせりひこのみこと、大吉備津彦命)は桃太郎伝説のモデルと言われている。

放光寺(片岡王寺)(ほうこうじ(かたおかおうじ))

放光寺(片岡王寺)(ほうこうじ(かたおかおうじ))

放光寺は、第30代敏達天皇の皇女片岡姫による創建といわれ、聖徳太子が建立した46院の一つにも数えられている。古代では片岡王寺とも呼ばれ、南向きの四天王寺式伽藍をもっていたと考えられる。
『放光寺古今縁起』によれば「敏達天皇第3皇女の片岡姫が葛下郡片岡中山に営んだ片岡宮を寺に改め、片岡寺と称したことにはじまり、聖徳太子をはじめ用明・推古・舒明・孝徳・聖武天皇らの崇敬を得て、皇寺(王寺)と称された」とある。この片岡王寺が、王寺町の町名の起源と考えられている。

尼寺廃寺跡(にんじはいじあと)

尼寺廃寺跡(にんじはいじあと)

僧寺と尼寺の関係が指摘される北廃寺跡と南廃寺跡からなる7世紀中頃に創建された寺院跡。塔の基壇から日本で最大級の規模を誇る心礎が出土。東西、南北ともに幅3.8mほどもある大きさの石。北に金堂、南に塔を配置し、それらを回廊で囲む東向きの法隆寺式伽藍配置である。
現在、国史跡の公園として整備中。

芦田池(あしたいけ)

芦田池(あしたいけ)

昔から「葦田」と呼ばれ、葦が茂っていたことから『放光寺古今縁起』には葦田池と書かれている。
「あしたの原」は、葛城山脈から馬見丘陵にはさまれた葛下川流域一帯をさすと思われ、数々の和歌が残されている。
(案内表示板)
あすからは 若菜つまむと 片岡の
    あしたの原は けふぞやくめる   柿本人麻呂