伊勢本街道・暗峠越えハイキング

  • 暗峠(くらがりとうげ)
  • 暗越(くらがりごえ)奈良街道は、大阪と奈良を結ぶ往時の幹線道路でした。現在も国道308号線として現役の道路であり、府県境の「暗峠」には当時の面影をしのばせる石畳が今も敷かれており、大阪から奈良や伊勢への旅路を歩んだ往時の雰囲気を感じることができます。また、街道沿いには、伊勢参りのために建てられた石灯籠や道しるべが残され、伊勢参宮街道として利用されてきたことが実感されます。暗峠を過ぎると棚田や石仏が見られ、峠を登ってきた辛さを忘れさせてくれることでしょう。「日本の道100選」にも選ばれているこの街道の良さを味わってください。

枚岡神社(ひらおかじんじゃ)

枚岡神社(ひらおかじんじゃ)

紀元前663年に、神武天皇の詔によって、現在地の東方、霊山と崇める神津嶽(かみつだけ)に、天児屋根命、比売御神の両神がお祀りされ、650年に現在地に神殿を造営し、山上より遷祀された、わが国有数の古社。主祭神の天児屋根命は、祭祀を行って天の岩戸開きをされたことから、神事を司る神様として称えられ、除災招福、開運厄除けのほか、幅広い信仰を集めている。

笠塔婆(かさとうば)

笠塔婆(かさとうば)

何体かの石仏がある中に、右手奥に一きわ高い石柱があり、これはもと笠をのせた笠塔婆(高さ181㎝)で、鎌倉時代中期の弘安7年(1284年)に建てられたもの。阿弥陀如来坐像の下に「南無阿弥陀仏」の六字名号を刻んでいる。昭和53年6月23日、東大阪市の文化財として指定。

暗峠(くらがりとうげ)

暗峠(くらがりとうげ)

日本の道100選と日本の歴史的風土100選に選ばれている、奈良街道として古来から人が往来してきた峠で、標高は455m。江戸時代の官道で大和郡山藩が大阪への道としたので、峠付近には、本陣や旅籠が軒を連ねていた。大阪中心部と奈良を結ぶ最短路で、初瀬・伊勢参りの人も通った。大和郡山藩が敷いた石畳が残っていて、往時の風情を感じることができる。

万葉歌碑(まんようかひ)

万葉歌碑(まんようかひ)

「難波門を 漕ぎ出て見れば 神さぶる 生駒高嶺に 雲そたなびく」(巻20-4380)と詠まれた防人歌の歌碑。この場所には役行者造、弘法大師像、地蔵菩薩像、六字名号碑などが置かれている。

自然石線刻阿弥陀如来立像(しぜんせきせんこくあみだにょらいりゅうぞう) 

自然石線刻阿弥陀如来立像(しぜんせきせんこくあみだにょらいりゅうぞう) 

暗峠への街道沿いに立つ祠(ほこら)に安置された阿弥陀如来立像。総高136㎝(像高107.5㎝)で、上部は欠損している。来迎印を結んだ像全体を薄肉彫で表したうえに、面部、衲衣(のうえ)、衣文(えもん)などが線彫で施されており、像の左脇には「南无阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」、向かって右側面には「文永七年(1270)广午六月日為西仏過去也」の銘がある。

垂仁天皇陵(菅原伏見東陵) (すいにんてんのうりょう/すがわらのふしみのひがしのみささぎ)

垂仁天皇陵(菅原伏見東陵) (すいにんてんのうりょう/すがわらのふしみのひがしのみささぎ)

周囲を水濠に囲まれた全長227mの大型前方後円墳。
『日本書紀』には第11代垂仁天皇の陵と記されており、濠の南東には田道間守(たじまもり)の墓と伝わる小島が浮かんでいる。田道間守は垂仁天皇のために常世国に不老不死の果物、非時香菓(橘の実)を探しに行ったとされる人物。非時香菓を持ち帰った時には、天皇はすでに崩御されており、悲嘆にくれて死んだことから、そのことを哀れんで、そばに葬られたと伝わる。濠の外側にも6基の陪塚がある。