能楽ゆかりの多武峰と三輪

  • 能楽ゆかりの多武峰と三輪
  • 多武峰の谷は古来鼓筒の産地。能楽には欠かすことのできない鼓の名器に「多武峰」「音羽」「下居」などこのあたりの地名がついています。今はその伝統もなく、記憶も失われていますが、鼓の材に用いられた「桜」の木がこの地にたくさん残ります。春には桜の花を、秋には紅葉を眺めながら談山神社から多武峰の谷を下り、日本最初の国立演劇研究所があったといわれる「土舞台」、能楽宝生流発祥の地といわれる桜井市外山、そして日本最古といわれる大神神社へ。日本芸能源流の地から古代ロマンの地を訪ねます。

談山神社(たんざんじんじゃ)

談山神社(たんざんじんじゃ)

大化の改新の中心人物の藤原鎌足を祀る神社です。舒明、皇極二代の天皇の世に、国の政治を欲しいままにしていた蘇我蝦夷、入鹿の親子を討伐し、政治を改革しようとした中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣鎌足(後の藤原鎌足)が645年の5月に藤の咲き乱れる多武峰に登って「大化の改新」の談合を行ったことから、後にこの山を談い山、談所ヶ森と呼びまた神社の社号の起こりとなりました。
本殿・拝殿などの華麗な社殿や日本唯一の木造十三重塔とともに、春の桜、夏の蝉時雨、秋の紅葉、冬の雪景色など四季を通じて楽しめるところです。

聖林寺(しょうりんじ)

聖林寺(しょうりんじ)

712年(和銅5年)、藤原鎌足の長男・定慧(じょうえ)の創建で、多武峯山麓の高台にあり、山門からの展望がよく、三輪山が美しく一望できます。本尊の子安延命地蔵菩薩は、貴重な石像仏として注目を浴びていますが、それ以上に名高いのが、和辻哲郎が「古寺巡礼」で気高いその姿を絶賛した、天平彫刻の傑作「国宝・十一面観音立像」です。
近在では安産祈願のお寺としても知られています。

土舞台(つちぶたい)

土舞台(つちぶたい)

「土舞台」顕彰碑は、桜井市出身の評論家・保田與重郎氏の雄揮な文字を彫ったものです。
「日本書紀」推古20年(西暦612年)に百済の人、味摩之(みまし)が呉で「伎楽舞(くれのうたまい)」を学び、これを聖徳太子がご覧になって、この地で少年を集めて習わしめたといわれています。土舞台は、日本最初の国立演劇研究所があった場所として、日本芸能発祥の地といわれています。

宝生座発祥の地(ほうしょうざはっしょうのち)

宝生座発祥の地(ほうしょうざはっしょうのち)

大和猿楽の4座のひとつ、外山(とび)の宝生座(蓮阿弥が流祖)がこの地にあったといわれています。ほかにも桜井市内には山田座など能楽ゆかりの地がたくさんあります。
17世宗家宝生九郎氏が、昭和36年8月に宗像神社入り口に向かって左の地に「能楽宝生流発祥之地」の碑を建立し、翌37年5月には宝生宗家の記念能を催されました。

談山神社一の鳥居(たんざんじんじゃいちのとりい)

談山神社一の鳥居(たんざんじんじゃいちのとりい)

談山神社の北の入口に位置するこの鳥居は、1724年(享保9年)に建立されましたが、隣地の火災の際、西側の端部が落ちてしまいました。鳥居上の銅額は貞明皇后(大正天皇皇后)の父、九条道孝氏の筆によるものです。
高さ約8.5メートル、長さ約11.5メートル。簡素で何ら装飾もありませんが、正確なその石組みの重量感と堂々とした姿に原始のごとき想像力が味わえます。ここから昔の面影を残す多武峰街道が南へと続いています。

仏教伝来の地の碑(ぶっきょうでんらいのちのひ)

仏教伝来の地の碑(ぶっきょうでんらいのちのひ)

初瀬川のほとりに3.8メートルの碑があります。欽明天皇の時代に百済の聖明王の使節が訪れ、釈迦仏の金銅像一躯と経論若干巻物などを献上し、日本に仏教を最初に伝えたといわれています。

大神神社(おおみわじんじゃ)

大神神社(おおみわじんじゃ)

御祭神大物主神(おおものぬしのかみ)の御魂が三輪山に留まり、山全体を御祭神とする日本最古の神社といわれています。大物主神は国造りの神様として、また、医療、酒造、方除など生活全般の守護神として大和の国一の宮、三輪明神として親しまれています。
本殿は設けず拝殿の奥にある三ツ鳥居を通し、三輪山を拝するという原始の神祀りの様が伝えられています。