葛城古道・神々のふるさとをたずねて

  • 葛城古道・神々のふるさとをたずねて
  • 数々の神話の舞台となった神々の里をたずねる神秘的なルートです。葛城王朝以来の史跡や農耕文化の営みの跡が、金剛葛城両山麓一帯の扇状地に広がっています。全長13キロメートルの山裾にそった道を歩き、豊かな自然に触れるとともにダイナミックな眺望を楽しむことができます。
    葛城氏発祥の地であり、高天の台地には葛城氏の最高神として高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)を祀っています。高皇産霊尊は、天孫の瓊々杵の尊が高天原から降臨するときに出雲国へ使者を派遣し、天孫降臨の命令を下した神様として記紀に記されています。

六地蔵石仏(ろくじぞうせきぶつ)

六地蔵石仏(ろくじぞうせきぶつ)

室町時代に豪雨によって、安位川が氾濫して、大災害が発生しました。そんな天変地異に村人は信仰心から仏教に救いを求め、災害によって流れ着いた大きな石に六地蔵を彫り込んだものと伝えられています。この石の大きさは未だに分かっておりません。
六地蔵とは仏教で言う六道で、人間が死ぬときいずれかに行くものと考えられていました。向かって右から天上道(日光菩薩)人間道(除蓋障菩薩)修羅道(持地菩薩)畜生道(宝印菩薩)餓鬼道(宝珠菩薩)地獄道(壇蛇菩薩)となっています。

九品寺(くほんじ)

九品寺(くほんじ)

九品寺を開いたのは奈良時代の僧、行基です。行基は聖武天皇のとき奈良東大寺の大仏造営にかかわった僧で、その生涯は民衆救済のため布教活動を続けました。御本尊は平安時代後期に造られた、木造阿弥陀如来坐像です。国の重要文化財に指定されており、檀信徒の心の拠り所となっています。
また、この寺は境内や本堂の裏山に千体石仏とよばれる石仏群があることで有名で、南北朝時代にこの地を支配していた豪族、楢原氏が南朝方について北朝側と戦ったとき、地元の人たちが味方の身代わりとして奉納したものとされ、また『集落内にあった石仏をある時期、寺に集めた』と伝えられています。

一言主神社(ひとことぬしじんじゃ)

一言主神社(ひとことぬしじんじゃ)

願いを一言だけ聞いてくれる「いちごんさん」として地元の人から親しまれています。祭神は、古事記や日本書紀の中に見える事代主命です。雄略天皇が葛城山で狩をしている時、この神は天皇と同じ姿で現れ、天皇が「お前は何者だ」と問いかけたところ、「私は善事も悪事も一言で言い放つ神である」と申されました。天皇はひれ伏し、その後、共に狩を楽しんだとされています。しかし、続日本書紀によれば雄略天皇と狩の事でいさかいを起こし、四国の土佐に流されたという事です。その後許されて葛城の高宮付近に祀られたと記されています。
また、今昔物語では、葛城の怪人と言われた役行者が、修行のため、葛城山と吉野の金峯山の間に岩橋を架けるため、諸神を集めて、架橋工事をした際に、一言主神は顔が醜かったため、昼は働かず夜しか働かなかったので、石橋は完成しなかったとされています。

中村邸(なかむらてい)

中村邸(なかむらてい)

名柄村はもと藤原不比等の所領でしたが、興福寺に寄進され、後に幕府領となり宿場町として栄えました。旧街道沿いに古い民家が軒を連ねており、江戸時代の雰囲気を色濃く残しています。
中村氏邸は御所市内で最も古い建物で、吐田城主だった吐田越前守の子孫にあたる中村正勝が慶長期(1596~1615)に建てたと推定されています。江戸初期の家の造りを今に伝えるこの建築物は、全国的にみても歴史的価値の高いもので、国の重要文化財にも指定されています。

高天彦神社(たかまひこじんじゃ)

高天彦神社(たかまひこじんじゃ)

極楽寺の南にある北窪の集落から金剛山の山頂に向かう急な坂道を辿っていくと、広々とした台地に出ます。ここが日本神話の舞台になった高天ヶ原の実在の地と伝えられている場所です。高天ヶ原は、神代に皇祖神天照大御神が統治していたところで、ここから瓊々杵尊(ににぎのみこと)が日向の高千穂の峰に降臨したと古事記は伝えています。
葛城王朝を築いた葛城一族の祖神を祭するこの神社は、今も伝説の地にふさわしい神さびた風情を周囲に漂わせています。

菩提寺(ぼだいじ)

菩提寺(ぼだいじ)

ご本尊は、平安時代に造られた十一面観音が安置されています。「続日本紀」に、大和国菩提とあることから、後に書かれた大和志も大和菩提は菩提寺のこととされています。足利尊氏の家来、高師直が吉野攻略の際、風の森で南軍と戦ったとき、寺院に火を放ち、炎上させたと伝えられています。寺伝によれば、37ケ坊の子院があったといわれ、往時は広大な寺城の中に、大伽藍が配置されていたと伝えられています。江戸中期には正堂・鐘楼・力士門・僧舎6院がありましたが、現在は仮本堂と仁王門だけが往時をしのばせています。

高鴨神社(たかがもじんじゃ)

高鴨神社(たかがもじんじゃ)

本殿は三間社流造りで、国の重要文化財に指定されています。祭神は阿治須岐託彦根命(あじすきたかひこねのみこと)です。
またこの地にいた鴨族と言われた人々は、政争いにかかわりたがらず、農耕の民として高鴨神社の祭神を最高神として崇めました。開拓精神旺盛だった鴨一族は新天地を求めて全国に分散し、賀茂と称する郡名が全国に28例もあります。なかでも京都の賀茂神社(上賀茂神社・下鴨社)は平安時代に皇室から崇敬されて有名になっています。

船宿寺(せんしゅくじ)

船宿寺(せんしゅくじ)船宿寺(せんしゅくじ)

どうして山の中にある寺なのに船という字がついているのか。これは、船宿寺に磐座(いわくら)があったのと、大昔近くまで海がきていたのがその起こりであると伝えられています。海だったのは約1万年から2万年前のことで、木津川の方から大阪の海につながっていたとされています。
関西花の寺二十五に選定されていて、春はサツキなどが境内を彩り多くの観光客でにぎわいます。紅葉の時期も美しく、冬には、山茶花の花が咲き、寒椿も彩りを添えています。12月の下旬からは早咲きの蝋梅が開花し、一月咲き、二月咲きと続き、境内に梅の香りに似た清楚な匂いを漂わせます。寒い時節になっても香りを求めて散策いただくのも一興です。

葛城高原(かつらぎこうげん)

葛城高原(かつらぎこうげん)

「一目百万本」といわれるほどのツツジが山肌を美しく染め上げる春。まるで無数の宝石をちりばめたような夜景が広がる夏。秋には山肌一面にススキの銀の海が広がり、そして芸術のように太陽の光にきらめく美しい冬の樹氷。四季それぞれに美しい景色を映し出します。

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