「城下町・大和郡山を歩く」ルート概要

ルート概要

郡山の城下町としての歴史は、戦国時代に筒井順慶(つついじゅんけい)が郡山城を築城してから。その後、天正13年(1585)には豊臣秀吉の弟・秀長が紀伊、和泉、大和3国100万石の太守として入城し、大繁栄の時をむかえる。この時の大規模な築城と町の形成が基となって現代に残る。
JR郡山駅から北へ向かい、バス道路を西に折れると、近鉄線の先に濠と石垣が見えてくる。濠に沿って東に歩き、郡山天理教前のバス停を南に入る。道なりに歩くと城跡公園に突き当たり、西の門から城内へ入る。本丸濠を隔てた北側には天守閣跡が残る。柳沢文庫(やなぎさわぶんこ)の見学後は町歩きへ。町には紺屋町をはじめ、錦町、鍛冶町など城下ならではの名がそのまま残っている。
また春には城跡一帯で1000本もの桜が咲き、ひときわ華やかになる。

作家が歩いた道
スタート:JR関西本線 郡山駅>郡山城跡>外堀緑地公園>売太神社(めたじんじゃ)>番条の環濠集落>筒井城跡>ゴール:近鉄橿原線 筒井駅

スポット紹介

郡山城跡

郡山城跡大和の統一をはたした筒井順慶は天正8年(1580)に筒井城から郡山城に移り、築城が開始された。天正13年(1585)には豊臣秀吉の弟・秀長の居城となり、大和・紀伊・和泉100万石の領主として秀長が入城すると、修築は本格化する。明治維新後の廃城令により櫓(やぐら)、門、塀などの建築物はすべて解体されたが、石垣や堀の多くは今も当時の姿を伝える。春の桜が有名で、例年桜の開花時期には大和郡山お城まつりが催される。
【住】大和郡山市城内町
【電】0743-52-2010(大和郡山市観光協会)
【時・休】見学自由

外堀緑地公園

外堀緑地公園郡山城の外堀の一部(常念寺~薬園八幡神社周辺)を活用した緑地公園。美しく整備された園内では堀が復元され、郡山名物の金魚や鯉が堀に放されている。トイレや四阿(あずまや)風の休憩所もあり、散策途中に一息つくのが最適だ。また、市民によるフリーマーケットも 定期的に開催される(第2日曜の定期開催)。
【住】大和郡山市高田町
【時・休】見学自由

売太神社(めたじんじゃ)

売太神社(めたじんじゃ)稗田環濠集落の森にある売太神社。かつては平城京の羅城門付近に位置し、道祖神としての役割もあったとされる。この神社には、天武天皇の命で「古事記」を口伝したとされる稗田阿礼(ひえだのあれ)が祀られており、神社一帯は稗田氏の居住地で、阿礼もここが出身地だとされている。また、毎年8月16日には稗田阿礼の遺徳をしのぶ阿礼祭(あれいさい)が行われ、稗田舞(ひえだまい)が奉納される。
【住】大和郡山市稗田町319
【電】0743-52-4669
【時・休】境内自由

番条の環濠集落

稗田と同じく、集落の周りを濠で囲った環濠集落。室町時代は貴族や社寺が荘園と呼ばれる土地を支配し、そこから税を取る権利を持っていたが、実際に荘園に住んで荘園を管理する人々が徐々に実力を蓄えて支配する二重支配の構造となっていった。そうした実力者の一人がこの番条地域を治める番条氏だとされる。集落内の道は防御のために、T字形に交差したり、袋小路になっていたりして遠くが見通せないようになっている。
【住】大和郡山市番条町
【時・休】見学自由

筒井城跡

筒井城跡筒井城は、1430(永享2)年に筒井順永によって築かれ、以後5代に渡り筒井氏代々の居城とされた。その後、信長より支配を任せられた順慶が郡山城に移り、同時に大和国内の城郭破却を命じられて筒井城を廃した。近鉄筒井駅から掘跡をたどっていくと、途切れ途切れではあるがほぼ城の外周を一周できる。本丸の一角にある菅田比売(すがたひめ)神社脇には、筒井城跡の碑が残る。
※写真は管田比売神社
【住】大和郡山市筒井町
【時・休】見学自由