『日本書紀』推古19年(611年)5月に菟田野(うだのの)で我が国最初の薬猟が行われました。菟田野は「阿騎野」周辺のことを指すと考えられます。薬猟は宮廷行事として実施され、男性は薬効の大きい鹿の角をとり、女性は薬草を摘みました。持統6年(692年)に行われた軽皇子(のちの文武天皇)の阿騎野への遊猟の時に柿本人麻呂は、東の空に広がる「かぎろひ」という雄大な朝焼けを歌に詠みました。東の野に炎の立つ見えてかへりみすれば月傾きぬ(『万葉集』巻1・48)この情景を想像して、「壁画 阿騎野の朝」が昭和15年に制作され、この歌の歌碑が建っている尾根は、かぎろいの丘万葉公園として整備されています。資料提供:宇陀市教育委員会