大和では、将軍吉宗の時代に、幕府の採薬使植村佐平次政勝による薬草採取旅行が行われました(1729年)。これに随行した森野藤助は、その後幕府から薬草6種を拝領して、自ら採取した薬草とともに、自宅の背後にある台地の畑に栽培しました。こうして始まったのが森野旧薬園です。薬園では、唐種を中心とした貴重な薬用植物の栽培が行われました。藤助に始まって、森野家は代々薬草の研究と薬園の整備に努めたため、現在でも、数少ない民間の薬草園として続いています。この当時、森野旧薬園以外にも、下市において願行寺薬園、堀池薬園などの薬草園がありました。森野旧薬園は、台地の斜面という自然の地形を生かして、植物の栽培を行っています。また、薬園の一角には、藤助が隠居してから研究に励んだ書斎兼薬草研究所である「桃岳庵」があります。