根岸 |
再話の作業は、原文を声に出して読み、内容、雰囲気等を二人で確認しながら、一行ずつ子どもが分かる言葉にしていきました。それを積み重ねて、ある程度までできたら始めから読んで、つながりが悪ければ直します。それを繰り返しながら、一章ずつ完成させていきました。これは非常に手間のかかる仕事で、結局、『古事記』の世界を創り上げるのに10年ほどを要しました。その頃偶然、徳間書店で「神話のシリーズを出したい」という話がありましたので、この本を提案して出版に至ったわけです。 |
竹中 |
一番難しかったのは、例えば、『海幸山幸』で非のある弟の方が王になるという理不尽さに対して、話の筋を通すために兄に意地悪い性格付けをしている本がありましたが、それは神話としてはおかしいので、できるだけ精神的な部分や世界観はオリジナルを崩さず、なおかつお話として納得がいくように苦心しなければならないという点でした。 |
根岸 |
「納得がいく」というのは、理屈の上で辻褄を合わせることでありません。そのお話が本当に面白ければ、子どもは最後にそれなりの納得をします。変に辻褄を合わせて、本を道徳教育等に利用しようすると、子どもの可能性を切り捨ててしまう恐れがあります。そうではなく、神話にある大らかなエネルギーを子どもたちが受け取って、日本独特の文化に自ら目を向けてくれるようにすることが大事なのです。『古事記』から逸脱せず、なおかつ面白いお話を子ども時代に読んだり、聞いたりすると、大人になって『古事記』をより深く探求したり、日本文化に興味を持ったりするのではないかと私たちは考えています。 |
竹中 |
多くの人が、学校現場での読書教育と図書館での自由な読書の違いを理解せずに、読書に「子どもに何かを教えるためもの」という意義を求めます。しかし、本来、子どもの読書は一人一人が人間として育っていく基盤づくりの栄養となるものです。「面白かった」「楽しかった」「驚いた」という感情を受け止めることが大切であり、そういう体験を読書によって得てほしいと考えています。ですから、私たちは子どもたちに「たくさん読まなくてもいい」と言っています。量だけで子どもの読書は図れません。「量より質」なのです。 |
根岸 |
もう一つ大切なのは、この本が図書館の書棚にあることです。図書館に行って「はじめての古事記」を探すと、同時に神話の棚に並ぶ各国の神話や伝説を目にするので、世界にはたくさんの神話があることを知ります。それだけでも子どもの目は開かれます。
また、子どもが本を選ぶ時は見かけが大事なので装丁も重要です。この本もスズキコージ氏のエネルギッシュな絵が付いてインパクトを与えるものになったと思っています。 |
竹中 |
最初の神様のところは抽象的・観念的なので思い切って外しましたが、古代の人たちの日本の神様に対す
るイメージを損なわないよう、第1章は特に苦労しました。その分、良い薄さになりましたので、子どもにはこのくらいがちょうどいいと思います。 |
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『古事記』に関しては、これで完結ですか。 |
竹中 |
倭建命以降の話は、歴史や政治的なことが絡んできて、対象とする小学校低学年・中学年の子どもたちには難しいので、私たちはこの本を『古事記』の中の神話に限定しました。その上で、高学年から中学生に適正な本をあとがきで紹介しています。 |
根岸 |
小さな神社一つでもゆかりの地があれば嬉しいに違いありませんが、奈良県にはそういう場所がたくさん
あります。
このプロジェクトは今後も続くわけですし、相手が子どもであれば、とにかく身近なところから始めるべきなので、まずは地域の子どもに愛着を持たせることが大切だと思います。 |
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本日は、お忙しいところを、ありがとうございました。 |