各界の識者が語る「わたしの記紀・万葉」

第9回 御所市長 東川 裕氏

記紀・万葉の時代から変わらぬふるさとの原風景に、精神性に訴える観光の可能性を感じています。


御所市長 東川 裕氏

御所市の市民力の高さは記紀・万葉の時代から

「なら記紀・ 万葉プロジェクト」がスタートしました。
いよいよ御所市が主役になるという思いを強くしておられるところでしょうか?
東川
待ってました!という思いです。
御所市は大和朝廷の時代の豪族・葛城氏の本拠地として知られています。
現在も、御所市は大阪府と奈良県との県境に位置しますが、奈良盆地の南西の砦(とりで)を守るポジションにあったと考えられます。
『古事記』や『日本書紀』によると、葛城一族は天皇家の外戚・大臣として巨勢(こせ)氏とともに権勢を誇っていました。
ある意味で自治独立国家を形成していたのかもしれません。
それからずっと後の時代になりますが、今の御所市中心市街地にある「ごせまち」というエリアも、江戸時代、幕府の直轄地でありながら、商人が中心となって自治独立国家を作っていました。
そして、現代の御所市にも、古代から脈々と続く「自治」の気風が感じられます。
例えば、どのようなことでしょうか?
東川 御所市は財政が非常に厳しく、私が市長になったときも財政再建が大きな課題でした。
やむを得ず市民体育祭や敬老祭の補助金をカットしたのです。
すると、市の窮状を理解した市民が中心になって自ら資金を集め、企画して下さり、「予算がないならやめとこか」とはならなかった。
行政はバックアップに回って市民と協同したことで、これまで以上に温かくておもしろい形で存続できています。
この市民力の高さは奈良県でナンバーワンではないかと、非常に誇りに思うと同時に、記紀に出てくる大雀命(おおさざきのみこと・仁徳天皇)の「民のかまど」の話に通じるDNAを感じます。
「民のかまど」というのは、大雀命(おおさざきのみこと・仁徳天皇)が高台に登って民衆の暮らしぶりを見たところ、人家のかまどから煙が上っておらず、貧しい生活をしていることに気付かれた。
そこで3年間税を免除し、自らも質素倹約に努め、宮殿の屋根の修復さえ行わなかった。
その後、豊作で暮らしにゆとりを取り戻した住民たちが、宮殿の修復と徴税の再開を申し出た」という逸話です。
この市民力は、御所市が誇るべき財産です。

なるほど、素晴らしい財産ですね。
「民のかまど」の大雀命(おおさざきのみこと・仁徳天皇)の皇后・石之日売命(いわのひめのみこと)は、葛城曽都毘古(かつらぎのそつびこ)の娘ですね。
東川 ええ。我々御所市民のご先祖と言ってもいいのではないでしょうか(笑)。
今年の御所市のテーマが「本気で自立した自治体を目指して」なのですが、自分たちの力で地元を盛り上げていくという精神は、大雀命(おおさざきのみこと・仁徳天皇)や石之日売命(いわのひめのみこと)の時代からずっと引き継がれているように思います。

自然や歴史文化遺産に恵まれた環境をもっと誇りに思って欲しい

市民力以外の財産といえるかもしれませんが、御所市の自然や歴史文化遺産についてもご紹介ください。
東川 葛城山、金剛山、葛城の道、巨勢の道、葛城曽都毘古(かつらぎのそつびこ)の墓の有力候補とされる室宮山古墳をはじめ数多くの遺跡があります。
私たちは、これらをもっと誇りに思ってよいと感じています。
「自分たちはすごいところに住んでるんや!」と。
ふるさとを誇りに思う気持ちがあると、よそから来られた方へのおもてなしの心が持てる。
これは、「ごせまち」で行っている「霜月祭(そうげつさい)」の成功でも証明されたことです。
『数ある史跡、名所の中で、市長のおすすめの場所はどこでしょうか?
東川 個人的に一番気に入っているのは、高鴨(たかかも)神社から高天彦(たかまひこ)神社、高天寺橋本院へのルートですね。
まず、朝早くに高鴨神社へお参りして、森林の中でマイナスイオンというか霊気を感じる。
その後、高天彦神社へ行って橋本院へ行き、その境内にある瞑想の庭で30分くらいボーッとする…。
静寂の中に身を置いていると、記紀・万葉の世界を感じるというか、そこにそういう風景がポンとあるわけです。
高天彦神社から橋本院へ抜ける細い道もいいですね。
田植えの後に行くと、特にいい。
青々とした苗が揺れる水田がずっと広がっていて、山が見えて、少し歩くと橋本院の屋根がちらっと見えるんです。
これはもう、最高の景色です。
また、最近地元のボランティアの方が中心となって、「ホホマの丘」伝承地の国見山登山道の整備や、伏見山菩提寺・八幡神社から、さきほどの橋本院や高天彦神社へ行く最短ルートを整備されました。
これらも非常に景色のいいところです。
葛城の道や巨勢の道を歩き、疲れたら「かもきみの湯」という温泉にゆっくり浸かって帰っていただけたらよいと思います。
そのほかにも、「なら記紀・万葉プロジェクト」に合わせて予定しておられる取り組みがおありですか?
東川 御所だけに来る観光客は決して多くはありません。
例えば、御所を訪れるなら、當麻寺も見て、葛城一言主(かつらぎひとことぬし)神社も見て、五條の新町にも行ってみたいという人がいて当然なんです。
市単独で観光の起承転結を考えていてはダメだと思うので、来年度は葛城市、五條市と一緒に観光振興に取り組む動きを今、整えているところです。
雑誌を出すことも企画中ですので、楽しみにしていて下さい。
今後ますます観光産業は重要になってきます。
記紀・万葉の時代のおおらかな気持ちと自立心を持って、行政区分や官民の垣根は、ある意味取っ払ってしまって、「オール奈良県」という思いで取り組んでいかなければいけないのではないでしょうか。
これもDNAと言っていいのかもしれませんが、旅行などへ行ったとき、二上山や葛城山、金剛山の稜線、のどかな田園風景を見ると、「御所に帰ってきたなあ」とホッとします。
御所には、記紀・万葉の時代からほとんど変わっていないふるさとの姿、日本人の心の奥にあるふるさとの原風景がそのまんま残っていて、私達市民だけでなく、他府県の方が見てもどこか懐かしいような気持ちになれる風景ではないでしょうか。
何もないこと、開発されていないことが、今となっては財産です。
これからは、そういった精神性に訴える観光に大きな可能性を感じますし、御所市にはその土台があります。
ふるさとに大きな誇りを持って、 その素晴らしさを広く伝えて行きたいと思います。
ひがしがわ・ゆたか
プロフィール
1961年 御所市生まれ
2008年より、現職。