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奈良について、よく「京都に追いつけ追い越せ」などと言う人はいますが、千田先生は、「奈良は第二の京都になってはならない」と明言されていますね。 |
千田 |
「古都」と言ってしまうと同じように考えますが、奈良と京都は質が全然違うんですよ。
平安時代に日本の文化を創り上げた京都は鎖国的な状況でしたが、奈良は開放的で、大陸や朝鮮半島の文化を入れて融合させようとしました。
しかも、京都が1000年の都だったのに対して、奈良の都は70数年。
それなのに、その短い間に、奈良の都は、仏教を受け入れるという重要な役割を果たしました。
奈良は日本の国家の始まりの場所です。
その重要さを今の日本人はしっかりと理解できていないんじゃないかなと思います。
日本のことを本当に知りたいと考えている人は、ぜひ奈良に来てほしいですね。
そういう切り口が奈良県の観光には重要です。
総じて、奈良が好きな人は教養のある人が多いんですよ。
奈良の、こういう底力が認識されると、もっと奈良が脚光を浴びる時代が来ると思います。 |
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観光客の数ではなく、深みで勝負するというわけですね。
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千田 |
そうです。
そういえば、会津八一や島崎藤村など、著名な方が、若い時に失恋したときに、よく奈良へ来ているんですよ。
奈良に来て気持ちを鎮めたんでしょう。
奈良は「失恋の都」というふうにも言えるかもしれません(笑)。
でも、「失恋の都」「失恋紀行」だとイメージが暗くなってしまうかな。 |
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いえ、ロマンチックだと思います。
奈良にはそうやって、まだまだ知られていない魅力がたくさんありますね。
今回の記紀・万葉プロジェクトというのも、いうなれば、知られざる魅力を発掘する取り組みともいえるかもしれませんね。
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千田 |
面白いことに、『万葉集』などで詠まれた、その場所に行ってみても、何もないことが多いんですね。
それは、『古事記』の舞台も、『日本書紀』に出てくる場所も同じです。
行ってみると何もない、ただの田んぼや野っぱらだったりします。
だからこそ、その何もないところを観光地化するという仕掛けが必要になってきます。
私が生まれた三宅町は、小さな古墳があるだけで、あとはただの水田です。
でも、万葉の歌が詠まれているし、天皇家の領地があったところです。
逆にいえば、それで、何もないからこそ、人々はイメージを膨らませることができる、自分の思いを膨らませることができると思うんです。
そういう何もないところでイメージを膨らませる観光ができたら、奈良県で、新しい観光の概念が生まれると思います。 |
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何もないところでイメージを膨らませるには、手助けになりますね。 |
千田
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もちろんそうです。例えば、『古事記』が作られた時代は、声を出して朗々と読み上げていたでしょう。
ですから、電車の中で静かに本を読みながら現地へ行くのではなく、現地へ行って、大きな声で朗々と読んでみるというのはどうでしょうか。
そうすると、調べが出てくるし、何となく意味もわかってくるんじゃないかな。
『万葉集』もそうです。
明るいところで声に出して堂々と読んでいると、きっと、失恋も癒されていくでしょう(笑) |