各界の識者が語る「わたしの記紀・万葉」

第1回 マンガ家 里中 満智子氏

記紀・万葉集に親しむことは、お勉強じゃありません。
わからなくちゃではなく、ちょっとわかるととっても楽しいと思ってほしい

マンガ家 里中満智子氏

想像ふくらませ、作品づくり

里中先生には、持統天皇を主人公にした『天上の虹』を筆頭に、『古事記』『日本書紀』『万葉集』(以下「記紀・万葉集」とする)の時代の人物やエピソードを描いた作品が多くおありですね。
里中 私はあくまでも(歴史の研究者としては)素人ですので、想像をふくらませながら作品づくりをしています。最近も『古事記』編纂に関わった太安万侶が大津皇子の息子だというふうに描きました。
太安万侶が生まれた年代と、大津皇子が子作りできた年代とがぎりぎりですが重なるし、太氏が関東地方にも赴任していたというあたりから、思いつきました。
だから太安万侶は持統天皇に恨みつらみがあって…と描いたら、ある学者さんに「あんな事を書いて」と言われました。
信じられても困るんやけど(笑)。
でも、可能性はゼロではないんですよ。
そういうふうに、想像をふくらませることができるということは、かなり「記紀・万葉集」を読み込んでおられるからですね。
そもそも「記紀・万葉集」を初めて読まれたのはいつ頃だったのですか。
里中 小学校6年生ごろから、子供向けの古事記物語なんかは興味を持っていろいろと読んでました。
あとは、中学生のとき、授業の一環で観た、東宝映画「日本誕生」がとても面白かったんです。
三船敏郎がヤマトタケルで女装シーンもありました。
天照大神が原節子、アメノウズメが乙羽信子、熊襲の弟が鶴田浩二…豪華な俳優陣の娯楽映画で、でも、ちゃんとヤマトタケルの切なさも描いてあって、ときめきました。
ヤマトタケルというのは、ジェームス・ディーンの「エデンの東」と同じで、次男の宿命や切なさが描かれていますよね。
それで、世界の神話もたくさん読むようになったのですが、今度は『古事記』『日本書紀』で疑問に思うこともでてきたんです。
どんなことですか?
里中 下半身や排泄物の記述がとても多いんですよね。
スサノオが暴れて肥だめをまき散らすとか、戦っていて、川が、血と苦し紛れに出した便でいっぱいになったとか。
ギリシャやローマの神話とは明らかに違う。
農耕と関係があるのかもしれませんね。
畑にまく肥料として、かなり昔からそれを使っていて、生活と切り離せないものだったからでしょうか。

学ぶべきところ多い、古代人の考え方

里中 『万葉集』はちょっと遅れて中学生くらいから読み始めました。
ちょうど思春期で、恋の歌ばかり拾ったりして。
そのうち気づいたのが、男の人がものすごく素直に恋の歌を詠んでいること。
「恋に破れたら死んだほうがいい」とか、「あなたに会えないともう死にそうだ」とか「好きな人と思いがかなうと天にも昇るほど嬉しい」とか・・・。
そんなことばっかり書いていて、女性の反応をすごく気にしている。
私の親世代というのは日本男児は黙ってついてこいというタイプが大多数でしたけど、万葉の時代はそうじゃなかったんだという発見がありました。
なんて素敵なんだろうと。
一番最初に好きになったのは舎人皇子(とねりのみこ)の

大夫(ますらを)や 片恋ひせむと嘆けども 醜(しこ)の大夫なほ恋ひにけり
巻2-117

「男たるもの片思いに悩むなんてみっともない、それはわかってるんだけど、自分はなんてみっともないんだ、彼女にこんなに恋してる」っていう歌。
ものすごく素直なんですよ。
その歌をもらった女性が返している歌が、ちょっと上から目線なのも面白かった。
「男のあなたがこんなに私に恋しているから、それでせっかく結っている髪がほどけちゃったのねぇ」と。
当時は、結った髪が乱れた時は誰かが私に恋しているんだというふうに言われていたと解説にあって、これもかわいいなぁと思いました。
髪が乱れることを面倒だと思わず、こんな素敵な考え方をする人達(時代)に興味がわいたし、この恋はどうなったんだろうかと気になって読んでいくと、作者の性別がわからない歌もある。
1300年ぐらい前に男女が同等の場所を与えられ、同列で作品が並べられているって画期的だと思いました。
世界の文化の大多数は男性が支えてきて、女性は発言権がなかったり、ましてや政治を司るなんてことはまずなかった。
中国でさえ、制度的にトップに立ったのは則天武后(そくてんぶこう)ただ一人なんですよ。
それを『万葉集』というのは、男性も女性も、さらには天皇も政治犯もホームレスの人も同列で、ただ歌のテーマ別に並んでる。これって素晴らしいこと。
しかもそれを意識もせずにやってのけるわけですから。
そういえば、「記紀」でも、日本は太陽神が女性で月の神が男性ですよね。
ギリシャ神話と日本の神話はかなり似ているところもあるんですが、この女性が太陽神でなおかつ最高神というのは、「記紀」が編纂されたときの持統天皇に気を使ったんだという説もありますが、日本人が古来男女差をあまり気にしなかったということの表れではないでしょうか。
この時代、女性も個人財産を持っていましたし、女性の天皇も続々出ていますよね。
「記紀・万葉集」を通して、その時代への興味がどんどん湧いてきますね。
里中 そうなんです。「記紀・万葉集」成立の時代というのは、外交上大変な時代。
中国(隋・唐)に対し、うち(日本)はおたく(中国)の一部ではありませんよ、昔からちゃんと歴史があって、国の仕組みもちゃんとしていて・・・と言い張るために、歴史書である『日本書紀』編纂というのはとても大切だったようです。
必死な思いで編纂したと思います。
歴史書の編纂、律令制の整備、都づくりは、国づくりの3点セットです。
一時期遣隋使もやめ、一旦鎖国状態にして内側を固めようとした時期らしいのです。

「記紀・万葉集」に親しみ、人生観豊かに

「記紀・万葉集」は、日本史の流れと深く関わっているのですね。
里中 面白いですよ。「記紀」の時代があったからこそ、いま、わたし達はこうやってかろうじて一つの国として存続しているわけです。
そういうことを考えて、奈良や九州を訪れたときには、古代の人が必死で守ってきた土地なんだなということを感じていただけたらと思います。
特に奈良県は幸か不幸か地形がほとんど変わっていませんので、風景としても、それを味わうことができると思います。
どこでもいいから古い建物をなでてみて、念じれば、何か見えてくるような気がします。
難しく考えなくていいんですね。念ずれば通ずでしょうか(笑)
里中 例えば『万葉集』でも、この歌がいいなと思ったら、この人はどんな人だったんだろうと、一人の人から調べてみる。
そんなところから入るといいかなと思います。
皆さん古代とか、古典というと難しく考えすぎで、詳しく知っていないと、何を見てもわからへんとか、この年でわかりませんでは恥ずかしいとかおっしゃる。
でも、知らないっていうことを言えるのが大人になった証拠ですよ。
古典といっても、たかだか1200年1300年前の同じ人間が作ったものです。
『日本書紀』は漢字で書かれています。
『万葉集』も万葉仮名という当て字が使われていますけど、歌を声に出して読むと、日本語として認識できるでしょ。
これってすごいありがたいことですよ。
民族大移動や、侵略や、時の権力によって言語が変わってきた国だったら、まったく違う言語になります。
ちょっとやそっと何かわからない字が書いてあるぐらいどうってことないんですよ。
「記紀・万葉集」に親しむことは、お勉強じゃありませんから、わからなくっちゃだめじゃなく、ちょっとわかるととっても楽しいと思ってほしい。
人生観が豊かになって、こんなにすばらしい人たちの子孫なんだと自分に自信と誇りが持てますよ。
「記紀・万葉集」を読むと自分に自信が持てる。すばらしいことですね。
最後に、奈良県内で、記紀・万葉集にゆかりが深いスポットで、おすすめの場所を教えてください。
里中 どこと絞るのは難しいですねえ。
あえていうなら、ありきたりですが、甘樫丘(あまかしのおか)かな。
大和三山を見渡すことができ、視覚的に古代の雰囲気にひたれる場所です。
昭和54年に、太安万侶の墓(奈良市此瀬町)が発見されたときのことはよく覚えています。
実在していたかどうかはっきりしなかった人のお墓がちゃんとあって、しかもいつからか茶畑になって使われていた。
奈良ってやっぱり特別な土地なんだなと思いました。
今日はどうもありがとうございました。

2011年11月21日(月)東京・里中事務所にて
さとなか・まちこ
プロフィール
1948年 大阪市生まれ。
16歳で「ピアの肖像」が第1回講談社新人漫画賞を受賞。
高校生活のかたわらプロの漫画家に。
「あした輝く」「アリエスの乙女たち」「海のオーロラ」「あすなろ坂」などヒット作多数。
歴史を扱った作品も多く、十代の頃より憧れていた『万葉集』の世界をもとに、持統天皇を主人公とした「天上の虹」を20年以上にわたり執筆し続けている。
また大阪芸術大学キャラクター造形学科教授を務めるなど各方面でも活躍。