記紀・万葉講座

「高天の原とアマテラス」

古事記を語る講演会 第1回 御所市

2013年12月8日(土)13時30分~15時00分
会場・御所市文化ホール(アザレアホール)
講師・奈良県立図書情報館 館長 千田 稔(せんだみのる)氏
演題・「高天の原とアマテラス」

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講演の内容

古事記は3つの巻からなり、上巻が神話、中巻は神武天皇から応神天皇まで続く。この中巻の間の2代目天皇である綏靖天皇から開化天皇までを欠史八代と言うが、その中に御所市に宮をおいた天皇が何人かいると『古事記』には書かれている。例えば綏靖天皇の葛城の高岡宮については御所市森脇に石碑があり、孝昭天皇については、葛城の掖上宮伝承が、孝安天皇に関しては葛城の室の秋津嶋宮(宮山古墳周辺)伝承がある。また、宮山古墳に近い秋津遺跡で、神を祀る場所であったと推察される遺跡も発見されている。しかし、御所市に高天の原があったという説は、とることができない。もちろん、御所市には「高天」とつく高天彦神社があるが、この「高天」は金剛山に由来するが、高天の原のことではない。

高天の原の神として『古事記』の冒頭に記されるのは天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、高御産巣日神(たかみむすひのかみ)、神産巣日神(かみむすひのかみ)である。天の香具山は、飛鳥王朝における天を結ぶ神として位置づけられ、天から降ってきた山という物語が作られた。高天原は持統天皇(和風のおくりなは高天原広野姫天皇)が34回、吉野に行幸したことに関連させて考えることができる。中国の『水経注』にある皇天原(高い山々の上に天上の神々を祀るという表現あり)から高天原という言葉が作られたと考えられる。持統天皇の高天原というおくりなとともに、おくりな広野姫の広野という地名が吉野宮の南面するところにあることなどから、吉野の金峰山を高天の原と見立てたのではないかと考えられる。日本書記の本文には高天の原は一言も出てこない。
つまり高天の原は古事記独自の神話的な世界観で書かれたものではないだろうか。

次にアマテラスであるが、対馬の阿麻弖留神社(あまてるじんじゃ)は万葉仮名的な表記をしていて、その成立の古さを推定させる。朝鮮半島の影響をうけた対馬あたりにアマテル信仰の原点があり、天を祀る神が西の方に伝わり、天武朝に伊勢に皇祖神としてのアマテラスを祀る神社が鎮座したのであろう。このアマテルの神を信仰したのが太陽を目印に航海する海洋民(天武天皇は海洋民族である尾張の海部氏に育てられた)である。天岩屋戸籠りの神話は、天武朝におけるアマテルの神のアマテラスとして皇祖神化する物語を投影したものであろう。


 

 


【講師プロフィール】
千田 稔(せんだ・みのる)/奈良県立図書情報館館長
帝塚山大学特別客員教授、国際日本文化研究センター名誉教授、文学博士。
1942年奈良県生まれ。京都大学文学部史学科卒業、同大学院博士課程(地理学専攻)を経て、追手門学院大学助教授、奈良女子大学教授、国際日本文化研究センター教授を歴任。
監修の『古事記(別冊太陽 日本のこころ194)』(平凡社)は、奈良県主催の「平成24年度古事記出版大賞」を受賞。著作、監修多数。

●関連情報
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