記紀・万葉講座

「悲しきも恋しくも平群の熊白檮―ヤマトタケルと雄略天皇」

記紀・万葉リレートーク 第13回 平群町

2013年3月10日(日) 13:30~
会場・平群町中央公民館大ホール

講師・奈良県立図書情報館 館長 千田 稔(せんだ・みのる)氏
演題・「悲しきも恋しくも平群の熊白檮―ヤマトタケルと雄略天皇」

チラシにリンク


 

概況

平成25年3月10日に平群町中央公民館大ホールにて、第13回目の「記紀・万葉リレートーク」を開催しました。
13時30分から開演し、平群町長の挨拶の後、「悲しきも恋しくも平群の熊白檮―ヤマトタケルと雄略天皇」と題し、奈良県立図書情報館館長 千田 稔氏にお話しいただきました。
奈良県で多数の講演をされている先生ですが、平群での講演は初めてとのことで、いつになく緊張しているとのお話しでした。


 会場となった平群町中央公民館パネル展示も行われた

 

講演の概要

「平群の地名の起源、由来はまだ十分に解明されていないが、非常に歴史的な裏づけのある地名であることは間違いない。平群出身の豪族は平群氏といい、昔の一円札にも描かれた伝説上の大臣、竹内宿禰の後裔氏族として誕生したとされる。豪族の中でも非常に高い姓を与えられ、仁徳天皇とかなり親しい関係であったという。特に木菟宿禰は百済、新羅に渡り活躍するなど、平群氏は非常に国際的な軍事氏族的な側面も持っていたと思われる。

ヤマトタケルは父である景行天皇の命を受けて、東の征伐へ行くが、その途中の尾張でミヤズヒメという美しい女性と出会う。やっとの思いで東を征服し彼女のもとに帰ってきたときのヤマトタケルの歌には、肉体とは精微なものであり、人間も自然であるとの思いを表現している。また、平群の山の熊白檮という葉にエネルギーがあるので、それをかんざしにすれば元気でいることができるという歌を詠んだとされる。その後ヤマトタケルは白鳥になって飛んでいったとされるが、ヤマトタケルをはじめ古代は鳥とは関係が深い。これは、鳥は霊魂を天空に届ける、あるいは鳥という名前を持つことによって自分は天空の神とつながることができるとの思いがあったからだと思う。一方、当時の日本国家の基礎を築いたとされる雄略天皇は、古事記によると、今の東大阪市石切に住む若日下部という女性のところまでプロポーズに出向いたという。その中で、女性は日の御子である天皇が、太陽を背にしてまできてくれたことに驚嘆するという表現がある。日下部という名前も含め、当時は太陽を中心とした世界観であることがわかる。

また、熊白檮の意味であるが、古事記の多くの現代語訳の本では巨大な樫の木と訳されている。古代では神をクマと読み、“熊” というと熊野のように、山の深いところ、つまり暗闇のようなところに神がいるというイメージがある。事実、伊勢神宮の遷宮の儀式をはじめ、祭りはすべて夜行われる。熊白檮は神の樫と解釈でき、かんざしとしてさすと元気になる。そういう自然や植物に神や霊を見出すことが、これからの我々の生き方として非常に重要であり、日本を再確認する機会になると思う」。


 会場・講演の様子


【講師プロフィール】
千田 稔(せんだ・みのる)/奈良県立図書情報館館長
帝塚山大学特別客員教授、国際日本文化研究センター名誉教授、文学博士。
1942年奈良県生まれ。京都大学文学部史学科卒業、同大学院博士課程(地理学専攻)を経て、追手門学院大学助教授、奈良女子大学教授、国際日本文化研究センター教授を歴任。
監修の『古事記(別冊太陽 日本のこころ194)』(平凡社)は、奈良県主催の「平成24年度古事記出版大賞」を受賞。著作、監修多数。

●関連情報
「各界の識者が語る わたしの記紀・万葉 第2回 千田 稔氏」