記紀・万葉講座

日本書紀完成・藤原不比等没後
1300年記念イヤーオープニングイベント

日時:令和2年1月13日
会場:奈良春日野国際フォーラム甍

『日本書紀』が伝え、藤原不比等が築いた古代国家・日本。2020年は、わが国初めての勅撰正史である「日本書紀」が完成されて1300年を迎える記念イヤー。また、平城京遷都をはじめ古代史に大いなる足跡を残した藤原不比等の没後1300年とも重なる。 県では、この1年、『日本書紀』を中心とする記紀・万葉の魅力を伝え、藤原不比等の事績を顕彰する様々な催しを予定している。その始まりとして、2020年1月13日に春日野国際フォーラム甍能楽ホールにてオープニングイベント「幕開け」を開催した。 書家・木下真理子氏の公開揮毫、古代史研究の第一人者・舘野和己氏による基調講演。さらに国内外の記紀・万葉研究者と女優の紺野美沙子氏によるパネルディスカッションでは、『日本書紀』と藤原不比等についてユーモアを交えた議論がかわされた。最後は能楽シテ方観世流片山九郎右衛門氏による能『海士』が上演され、観客を古の世界へと誘った。


プログラム
日本書紀完成1300年記念セレモニー(公開揮毫)
木下真理子 氏(書家)
基調講演「日本書紀と藤原不比等」
舘野和己 氏(大阪府立近つ飛鳥博物館館長)
パネルディスカッション「記紀・万葉から読み解く人々の営み」
〈パネリスト〉
舘野和己 氏(大阪府立近つ飛鳥博物館館長)
村田右富実 氏(関西大学文学部教授)
アンダソヴァ・マラル 氏(国際日本文化研究センター海外研究員)
紺野美沙子 氏(女優)
〈モデレーター〉
関口和哉 氏(読売新聞大阪本社編集委員)
特別公演 能「海士」より 天野文雄 氏 監修(京都造形芸術大学舞台芸術研究センター所長)
片山九郎右衛門(能楽シテ方観世流)

基調講演 「日本書紀と藤原不比等」

舘野和己 氏(大阪府立近つ飛鳥博物館館長)

~『日本書紀』について~

〇編纂と構成
『日本書紀』は天皇の命令によってまとめられた六国史の最初。天武天皇の皇子・舎人親王が編纂チームのトップとなり720年に完成。全30巻で第1巻と第2巻は神代(かみよ)。第3巻が初代の天皇とされる神武天皇。第30巻の持統天皇まで編年体で語っている。編纂の特徴は、多くの異伝を採用していること。特に神代では「一書曰く」と多いところで11種類もの異なった伝を載せている。後に『日本書紀』を読む我々も様々な言い伝えがあったことがわかり大変参考になる。

〇古事記との比較
『古事記』は712年に完成。上中下の3巻で序文には天武天皇が正しい歴史を伝えようと稗田阿礼に史料を読み習わせたが完成せず、後に元明天皇が太安万侶に命じて記述させたとある。『日本書紀』と『古事記』の違いは多々あるが、歴史学の方からみると地名表記の違いがあげられる。例えば、「シマ」(三重)は『古事記』では「島」。『日本書紀』では現在と同じ「志摩」。『古事記』の表記は『日本書紀』に比べると一段古く、飛鳥や藤原京の時代に木簡に書かれたものと合う。このことから、『古事記』は天武天皇が最初に編纂を命じた時点に立って歴史を述べている。『日本書紀』は完成した720年の時点に立って過去の歴史を振り返っている。書かれている内容もあれこれ違うが、まず「立っている時点」が違うのではないかと思う。

〇『日本書紀』は何を主張しているのか。
『日本書紀』の主張。1つめは「万世一系の天皇である」こと。天照大神の「この国は我が子孫が代々統治すべき地でそれが永遠に続く」という言葉が示している。2つめは「諸氏族仕奉の起源」。天皇には中臣、忌部、鏡作ら諸氏が代々従っているが、その先祖も一緒に天下ってきて現在の朝廷になったと。3つめは「対外意識」。日本はそれまで「倭」と呼ばれていたが702年に遣唐使が「我が国は日本である」と名乗った。その「日本」という名を書名につけたことからも中国を中心とした外国を意識していたのは確か。また、朝鮮三国に対する日本の優位性、外交的立場の根拠を『日本書紀』で物語っている。4つめは「天武天皇即位の正当性」。壬申の乱について「自分(天武)は仕方なく挙兵した」と主張している。5つめは「時代の区切り」。文武天皇の701年に大宝律令ができて律令制の時代に。国家の区切りとして『日本書紀』は律令制前の持統天皇までにしたのではないか。


~藤原不比等について~

〇『日本書紀』への登場から藤原氏の単独継承へ
藤原不比等は大化の改新で活躍した中臣鎌足の息子。彼が『日本書紀』に初めて登場するのは689年。「藤原朝臣史(史の字でフヒト)」らが判事に任命されたと記されている。7年後には直広弐という位に。以降、国史では「不比等」表記に。比べるもの等しいもののないオンリー1の意味か。文武天皇の時に「鎌足が賜った藤原姓は不比等だけが受け継げ」との命が出て、藤原姓を名乗っていた他の人々は元の中臣姓に戻した。「藤原朝臣」は不比等だけに。つまり、不比等1人から藤原姓は広まっていった。

〇律令の選定と平城京への遷都
藤原不比等の事績として重要なものが「大宝律令」の選定。それまでの「飛鳥浄御原令」にはなかった律(刑法)も加わり中国的な法体制がここに出来上がった。天武天皇の子である刑部親王が名目上トップだったが、実際には法律の知識を持つ不比等の主導で大宝律令が作られたと言ってよいだろう。これにより「日本」という国名が法的に定められ、元号も続いていく。不比等は右大臣になり、710年の平城京遷都では平城宮のすぐ隣に屋敷を構えた。不比等が遷都も主導したことがうかがえる。

〇藤原氏繁栄の礎と不比等の死
不比等は皇位継承においても重要な役割を果たした。716年、不比等の娘の安宿媛(後の光明皇后)が皇太子の首皇子(後の聖武天皇)と結婚。首皇子の母は不比等の娘で首皇子は不比等の孫。こうして藤原氏繁栄の礎を築いた。718年、不比等は大宝律令を一部改定した養老律令を作り律令制を確立。2年後の720年に亡くなった。

 舘野和己 舘野和己

パネルディスカッション「記紀・万葉から読み解く人々の営み」

【パネリスト】
舘野和己 氏(大阪府立近つ飛鳥博物館館長)
村田右富実 氏(関西大学文学部教授)
アンダソヴァ・マラル 氏(国際日本文化研究センター海外研究員)
紺野美沙子 氏(女優)
【モデレーター】
関口和哉 氏(読売新聞大阪本社編集委員)

~『日本書紀』をはじめ記紀・万葉に対してどんな関心を持っているか~

◆村田右富実 氏
もともと何でも最初というのが好き。専門は『万葉集』だが『日本書紀』を読んでいくと、日本という国家がどんな風に成立してきたのかが書いてあり、「なるほど。こんな風に考えていたのか!」と。『万葉集』の場合は我々の祖先が初めて日本語を書いた時代の書物。当時の人たちがどんな日本語を書こうとしたのかわかるのが面白い。

◆アンダソヴァ・マラル 氏
カザフスタン出身で日本の大学院で『古事記』を研究した。「なぜ古事記?」と聞かれるが中央アジアの文化の特徴もある。カザフスタンにもたくさんの伝承や神話があるが、それらは口承で、文字で記されたものはほとんどない。それに対して、『古事記』など記紀・万葉は全部文字に起こされている。1300年も前の人が書き記したものを現代の我々が読めるというのがとても新鮮で、ぜひ日本語でそれを理解したいと思った。

◆紺野美沙子 氏
『日本書紀』の中で注目しているのは「相撲」の話。野見宿禰(のみのすくね)と当麻蹴速(たいまのけはや)が戦ったのが相撲の起源だと書かれている。元祖スー女の私は奈良出身の徳勝龍が好きで以前から応援している。その徳勝龍が子どもの頃に通った道場の名前がなんと「けはや道場」。1000年以上の時を超えてそこにも『日本書紀』が残っていることに感動している。


~記紀・万葉から読み解く人々の営み、歴史的背景について~

◆舘野和己 氏
『日本書紀』が完成した720年というのは古代国家日本というものが出来上がっていく時代。大宝律令という中国的な法体系を日本でも作り上げ、それにふさわしい都を、と平城京に遷都。古代の貨幣も作られた。また、国土の状態がどうなっているかを国家として掌握するために『風土記』を編纂。空間的な広がりは『風土記』で。歴史的、時間的な流れは『日本書紀』で。まさに一体となって古代国家が作られたということを象徴している。

◆村田右富実 氏
『古事記』は天皇が自分たちの由来の正しさを証明するための王権の書。一方、『日本書紀』は対外的に「我が国はこうして出来上がった」ということを示す社史のようなもの。現在、『日本書紀』はα群、β群という風に2つの群に分かれることがわかっている。α群はおそらく渡来人が書いた非常に上手な漢文。β群は日本人が書いたらしく上手な漢文ではない。つまり中国から来た人たちと日本人が共同作業で日本の歴史書を作っていったのではないか。『万葉集』は歌だけだが、これほど古い歌が多く残っている言語はほとんどない。しかも4500首のうち半分くらいが恋の歌。1200年、1300年前の恋歌をこれだけ豊富に持っているのは 本当に珍しい。


~令和の時代に記紀・万葉とどう関わっていけばいいのか~

◆紺野美沙子 氏
アンダソヴァさん。カザフスタンで日本語を勉強している学生さんたちは『古事記』のどんなところに、興味を抱いているのか。

◆アンダソヴァ・マラル 氏
彼らは熱心に日本語を学んでいる。日本文化は何でも好きという学生たちに食事やアニメだけではなく記紀・万葉も面白いということを一生懸命伝えている。古代の日本と中国の関係に興味を持つ学生もいれば、イザナミやスサノオなど神の性格を非常に面白いと捉える学生もいる。

◆紺野美沙子 氏
カザフスタンの若い方が夢を持って来日した時、日本の若い人たちがちゃんと会話できるように、私たち大人も日本の宝をもっと伝えていく責任がある。日本はグローバルな人材が必要だと言われるが、日本の記紀・万葉について自分の言葉で少しでも語れるといったことが国際化、グローバル化につながるのではないか。

◆アンダソヴァ・マラル 氏
シルクロードが栄えていた時代はちょうど『古事記』や『日本書紀』の時代。日本の記紀・万葉は東アジアだけで意味を持つのではなく、シルクロードという形で中央アジアやさらに広い世界にもつながっていけるのではないか。もっと世界と関連付けて研究していきたい。

◆村田右富実 氏
『日本書紀』『古事記』はぜひ原文、あるいは原文をそのまま現代語訳した本を読んで欲しい。荒唐無稽な話にしてもまずはそのまま受け入れ理解することが大事。『万葉集』は声に出して読んで欲しい。もし心が動いたらもうそれはあなたの歌。

◆舘野和己 氏
『古事記』と『日本書紀』を見ていくと同じ題材を扱いながらも随分と違う書き方をしている。それぞれに主張したいことが違うのだろう。その違いを比較するのも面白い。『万葉集』の文字使いも自由で好きだ。当時の人たちのイマジネーションの豊かさを感じて楽しんでもらいたい。

 パネル1 パネル2

日本書紀完成1300年記念セレモニー(公開揮毫)

木下真理子 氏(書家)

幕開けのセレモニーとして、様々な分野で活躍する書家・木下真理子氏による公開揮毫が行われた。 観客が見守る中、奈良県産の最高級墨と大神神社の湧水を使い木下氏が墨痕鮮やかに書きあげたのは『日本書紀』に記されている歌「倭は 国のまほらま 畳づく 青垣 山籠れる 倭し麗し」。
揮毫後、木下氏が書に込めた思いを語った。 「この歌は『日本書紀』では景行天皇が故郷の大和の国を想って歌われたとされているもの。そのことに心を馳せながら、また、『日本書紀』が完成した720年当時に唐から日本に入っていた新しい書風や、聖武天皇の后である光明皇后が敬愛した東晋の王義之の書風などを意識して書きました」。 万葉仮名による歌の表記と当時の書風。伝統文化である書を通して、1300年前の日本語のありようを現代に伝える揮毫だった。

 木下真理子(書家)2 木下真理子(書家)1

特別公演 能「海士」より

片山九郎右衛門

記念年の幕開けに上演されたのは、片山九郎右衛門氏(能楽シテ方観世流)による能『海士』より。南北朝期の金春権守の作品を世阿弥が改作したもので、藤原不比等の次男・房前(フサザキ)が登場する。
監修の天野文雄氏(京都造形芸術大学舞台芸術研究センター所長)と片山氏が相談の上、原作に近い形での上演に。まさに、ここでしか見られない特別な公演となった。

 片山九郎右衛門1 片山九郎右衛門2