【五條新町】まち並みをじっくりと歩き 歴史と文化に触れる
<< 見どころ1〜3へ戻る
「五新鉄道跡」を過ぎたところに、札場跡(ふだばあと)と書かれた石柱が設置されている十字路がある。札場とはつまり高札場(こうさつば)のことで、江戸時代では掲示板の役割があり、人の往来が盛んな場所に設置されるものであった。さらにこの十字路の南北に通る道は堺筋通りで、大阪の堺まで繋がっているといわれている。おそらくこの十字路の周辺は、五條新町の中でも特に賑わっていた場所だったことが想像できる。
江戸時代に札場があったことを示す石柱
「札場跡」のすぐ側には、きれいに整備された「新町松倉公園」があり、松倉重政の顕彰碑が建てられている。さらにその向かい側には、新町通りでも特に重厚な造りであると言われる建物がある。こちらはその重厚な造りから、一時は銀行として使われていたことも。二段構えの立派な防火壁(うだつ)が特徴だ。
↓
五條新町についての様々な資料が展示されている「まちなみ伝承館」。
「新町松倉公園」を過ぎて少し歩くと、「まちなみ伝承館」の前に辿り着く。江戸時代の風情を残すこの新町通りに同施設がオープンしたのは、平成16年のこと。明治から大正にかけて建築され、元は病院だった建物を改修整備して完成した。中に入り受付を見ると、確かにそこは病院の受付だったと分かる。現在は、五條新町の歴史や文化などに関する資料が多数展示されている。
半七と三勝の名が彫られた石碑。
浄瑠璃の上演が行われたこともあり、実は歌舞伎や浄瑠璃といった古典芸能と、五條新町とは縁がある。というのも、五條新町にあった染め物屋の息子・半七と、遊女・三勝の物語が、「三勝半七艶容女舞衣」という演目で現在も歌舞伎や浄瑠璃で演じられているのだ。なお、新町通りを東に抜け、北に10分ほど歩いた場所にある「桜井寺」には、半七と三勝の名が彫られた石碑も建てられている。
↓
新町通りの東の端まであと少しのところに、小さな橋がかかっている。この橋の親柱に彫られている文字にも、新町通りが街道沿いのまちである印が見受けられる。街道中にある橋は、西側には平仮名で、東側には漢字で文字が彫られている。橋を見れば方角が分かるようなっているのだ。また、店先の看板にも、東向きは楷書で、西向きは行書で表記するのが、街道での約束事なのだという。
新町通りを抜けた交差点を、数十メートル北に進む。そこに「栗山家住宅」がある。重厚な外観が印象的なこの「栗山家住宅」は、江戸時代初期の建物。慶長12年(1607年)に建てられており、建築年代を判別できる民家では、日本最古のものだ。
↓
ゴール JR 五条駅
歩く際の楽しみ方
歩く際の楽しみ方
「五條新町」にある伝統的な建造物は、江戸時代から昭和の戦前にかけて、さまざまな時代に建てられている。そのため、建物の建設時期によって、特徴もいろいろ。例えば、窓の形がその一つ。江戸時代に建てられた町家は、鉄格子窓や虫籠窓が主流で、明治から大正時代の建物には格子窓や開戸を構えたものも。窓の形に注目して歩けば、「五條新町」の散策がさらに楽しくなる!
>> もっと知りたい!「五條新町を歩く際の楽しみ方」
- 五條新町情報 -
-
-
新町通りまで:JR和歌山線「大和二見駅」または「五条駅」下車、徒歩10分
-
-
0747-22-4001(五條市企業観光戦略課)