「五條新町」の基礎を築いた松倉重政。その生誕は、天正2年(1574年)と考えられている。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで徳川家康に功績を認められ、一万石の大名として二見城に入城した。そして「諸役免許」といった政策などで、現在の「五條新町」の礎をつくる。重政はその後、元和2年(1616年)に、前年の大坂夏の陣での功により、肥前日野江四万三千石を与えられ転封する。肥前日野江藩では、領民の限界を超える税を取り立てたり、キリシタンや年貢を収められない農民たちに対する拷問や処刑などを行ったといい、五條新町の人々が持つ重政の印象とはまったく逆といえる人物像の記録が残っている。