聖徳太子に愛された斑鳩(いかるが)の地。七世紀初頭に法隆寺を建立し、また隣接して造営された斑鳩宮に自身も起居した。一方で、推古天皇をはじめ主だった豪族たちは飛鳥に暮らしている。斑鳩と飛鳥、直線距離にして20キロほど離れたふたつの都は、のちに「太子道(たいしみち)」と呼ばれる道で結ばれていた。古い一万円札が消えてずいぶんになるが、少なくとも20年以上前に初等教育を受けた人間にとって、聖徳太子は日本史上もっとも偉大な人物だった。日本に仏教を根づかせた最初の人物であり、また冠位十二階や十七条憲法を制定して国家の基礎を築いた古代日本の大政治家であった。太子がまだ少年だったころ、十数人の相談話を同時に聞き分けたという逸話を知らない人はいないにちがいない。そんな聖徳太子が、法隆寺を造営するために足繁く通ったという太子道を歩いてみる。夢殿をあとにし、国道25号線を渡って南へ。国道脇にある小さな古墳は、聖徳太子の愛馬・黒駒(くろこま)が葬られたと伝わる駒塚(こまづか)古墳。その向こうの田んぼの真ん中に見えているのが調子丸(ちょうしまる)古墳。太子に常に付き従い、黒駒の飼育係であった舎人調子麻呂(とねりのちょうしまろ)が葬られている。特に案内板もなく、柵で覆われた駒塚古墳をのぞき込む私の背後を、修学旅行生を乗せたバスが何台も通り過ぎていく。