奈良県民にもあまり知られていない大和伝統野菜を復活させ、農家レストランの経営や中山間地域の農家さんとの協働など、伝統野菜を中心にしたソーシャル・ビジネスに取り組まれている三浦雅之さん。三浦さんが奈良に惚れ込むことになった経緯や、ここで果たしたいビジョンについてお話しいただきました。

農業をやりたいという気持ちと
偶然の出会いが重なり、
自然が残る高樋町へ。

奈良市内とは思えないほどのどかな風景が広がる高樋町。県道から外れて急な坂道を上がった先に、三浦さんご夫婦が営む農家レストランがあります。

「私たちがここに来たのは1998年ですからもう20年以上も前になります。当時は、妻は看護師、私は福祉関係の仕事をしていたのですが“農業をやりたい”と思いはじめた矢先にばったりと道で知人に出会いました。その人がこの土地の所有者で、話をするうちにトントン拍子にここを借りることが決まったのです」。

40年間放置された草木が生い茂る状態であったため一から整備を行い、今の環境を作り上げたのだそうです。

「私たちは医療と福祉の仕事を通じて、今の制度やテクノロジーでは命を守ることに限界があると感じていました。もっと予防医療につながる地に足のついたことをやりたい。その手はじめが農業だったのです」。

やさしく見守っているのは九州からやってきた田の神さま。
やさしく見守っているのは九州からやってきた田の神さま。

27年前、アメリカの
ネイティブアメリカンとの
暮らしで得た気づきが、
奈良の伝統野菜の復活に。

今から遡ること27年前。三浦さんは世界的に先進的な福祉の町、アメリカ、カリフォルニアのバークレーにいました。その手厚い福祉サービスを視察した後、アテンドしてくれた方の誘いで約1ヵ月間ネイティブアメリカンのコミュニティに滞在することに。

「驚いたのはネイティブアメリカンの生涯現役率が非常に高く、要介護者がいないことでした。お年寄りから子どもまで多様な世代が共同で野菜や穀物を育てています。そしてそのとうもろこしのタネは、長い間世代間で継承されているものでした。なんと豊かな暮らしなのか、良い人生とはこういうことかと驚きと発見の毎日でした」。

何代も続く家系という縦の軸と、仲間などの横の軸をとうもろこしのタネがつなぎ合わせているのだと感じた三浦さん。これが理想の姿であると感銘を受けたと同時に、彼らの食生活から伝統野菜とコメ文化が日本人にとってコミュニティを支える重要なファクターになると直感したそうです。

「それでまずは奈良の伝統野菜を自分たちで育てよう。それが僕らのめざす方向への第一歩だと決めました」。

三浦さんの活動に賛同した多様な世代のメンバーが続々。

判明したのはわずか9種類。
県下の農家をめぐって
苗や種をいただき、
食文化を学ぶ日々。

奈良県の伝統野菜を調べてみると、当時栽培が確認されているのはわずか9種類と判明。なぜこれほどまでに少ないのかとさらに調査を進めると、規格にはまりにくいため一般流通しない、儲からない、作らないという図式が見えてきたそうです。

「でも実際はもっとあると信じていたので、情報を集めて県下の農家さんを訪問することにしました」。

一軒一軒足を運ぶと、“自分たちが食べる分だけ育てている”という方が多く、その種を分けてもらいながら栽培方法や調理法を教えてもらい、地域ごとの食文化や風習まで学んでいったそうです。こうして地道に集めた種を育成し、現在三浦さんたちが取り扱っているのは約53品目にも。単に野菜を育てるだけでなく、この伝統野菜を中心にした人とモノが循環する仕組みまで作り上げたのです。

三浦さんの活動に賛同した多様な世代のメンバーが続々。

育てる、販売する、利益を得る。
この美味しさを起点にした
幸せの循環を生み出す。

「2002年に農家レストランをオープンしたのは“有料の試食会”という位置づけで、この奈良の野菜の美味しさを多くの人に知ってほしいという思いでした。現在この野菜を栽培しているのは、主に中山間地域にある精華地区の五ヶ谷営農協議会の農家さんで、積極的に野菜づくりに取り組んでくださっています」。

五ヶ谷営農協議会が栽培した伝統野菜を三浦さんが経営する( 株 )粟が買い取り、レストランの食材や加工品にして販売するというこの仕組み。育てる、働く、売る、儲かるというヒト・モノ・カネを循環させるソーシャル・ビジネスとして発展を遂げています。

「この循環を動かすメンバーとして参画することで、それぞれが自身の役割を果たしながら、生きる喜びにつなげてほしい。この地域をネイティブアメリカンに学んだ、種がつなぐコミュニティに少しでも近づけられたらと思っています」。

野菜をはじめ、
数ある奈良の歴史文化を誇りに
より良く生きるカタチを
見つけていきたい。

奈良の伝統野菜の特徴は、品種ごとにもつ風味、食感、形状などの個性が強いことにあると三浦さんは話されます。

「例えば里芋なら、一般に出回っているものはでんぷん質の多いホクホク系か、粘り成分の多いねっとり系に分かれています。奈良の里芋、唐の芋と言いますがこれはでんぷん質が極めて高く、まるで栗のようなホクホク感。一般のものとはまったく違う個性の強さが本当におもしろいんです」

と、我が子のような溺愛ぶり。さらにこの伝統野菜は歴史的な宝物だと称されます。

「奈良の人にもこの豊かな食文化を知っていただきたいですし、また食以外にも歴史などの誇れる文化に改めて気づいてもらえたらと思います。日本国のはじまりの地としてのリスペクトを忘れず、この地で暮らす、生きる素晴らしさを再発見できるよう、私も尽力したいです」。

大和伝統野菜を復活させ、その循環の仕組みを作り、多くの人に豊かさをもたらしていく…。三浦さんの活動は、まさにみんなの幸せを育むプロジェクトだと言えます。

三浦 雅之 氏

三浦 雅之 氏

1970年生、京都府舞鶴市出身。1998年より清澄の里をメインフィールドに奈良県内の在来作物の調査研究、栽培保存に取り組み、大和伝統野菜やハーブを栽培。2002年に大和伝統野菜を食材とした農家レストラン清澄の里「粟」、2009年には奈良町に粟ならまち店をオープン。株式会社粟、NPO法人清澄の村、五ヶ谷営農協議会を連携協働させた六次産業によるソーシャルビジネス「Project粟」を展開している。