前にこの辺りをブラブラと散策したのは、どこかの銅像の頂に垂れた鳥の排泄物のような色味の虫が、体の中のザラザラとガラガラを擦り合わせたような鳴き声で、そこらじゅうがじんじんと賑やかだった頃。悪意を疑うほどに太陽が近過ぎたあの頃。いい加減離れてくれと突き放された太陽は、今は随分と遠くまで退いてしまった。悴(かじか)んだ地面とタイヤの削り合うのが聞こえる。冷め切った空気も我関せずで、すんなり音を通してくれる。
プラモデル風の建築が随分と増えた。これがいわゆるベッドタウンというやつか、とプラとプラの隙間から、どうにか向こうの隙間を探して進む。故郷で迷子になるなんてことは避けたい。たとえば山の中では木を見ているだけではダメで、山の形を俯瞰的に、立体的に想像できること、それでいて通行可能な空間に身を置き続けることが大切、誰に教わったわけでもないし、登山の経験もほとんどない僕がこんなことを考えている理由は、どこを歩いているのかよくわからなくなっている、つまり迷子になっている事実を受け入れたくないからで、訳知り顔の仮面を外すにはまだ早い、僕にとってこの町は、馴染みどころか地理地形が身体に染みついて染み込んでいて、後ろ歩きでだって迷子になんかなるはずがない。何せ、薄汚れたヘルメットを被って、毎日毎日中学校と家の間を自転車で往復していたくらいなのだから、、、いやしかし、ただただその行き来を繰り返していただけだとしたら?、染みついているのは一筆書きの文字一つで済むような効率優先の順路だけなのか、今更散策など始めたおかげで合点はいったものの、ここでいつものようにGPSに縋り付くのも受け入れがたい。大都市の地下鉄の乗り換えなんかとは違うのだから、Google様のご指示を液晶画面に光らせて拝み奉ると同時に、世界に靄をかけるように八割九割ほど瞼を閉じて、半分透けた幽霊のようになりいつのまにか到着しておりました快適でした、そんなゴールには行き着きたくない。ベッドタウン進行現場の視察を兼ねていると思えば、この迷いは、ローラー作戦の紆余曲折遠回りバージョンと考えることもできる。
そういえば、じんじんと賑やかだった時期の散策では、神宮近くの古いホテルが取り壊されて、跡地を隠すように囲いがしてあるのを見かけた。囲いには、夢にまで見た理想のマンションこの地にあらわる!という感じのイラストが掲げられていたが、御陵や神宮から徒歩数分!という立地が多くの人にとってウリになるとも思えない。大都市へのアクセスに優れた神宮前駅から徒歩数分圏内であることが、一番のアピールポイントだろう。通勤圏内でありつつ大都市よりは家賃が控えめ、そんな夢をみんなが望んでいる。夢の街、ドリームランドがここに広がりつつある。この真新しいドリームランドでは、打ち捨てられてきた幽霊と、打ち捨てられるであろう夢が、入り混じって踊っている。踊れる場所が足りなくなれば、あれを壊してあそこを潰して、あの辺の木々を刈り取ってしまえばまだまだいけるだろう。
さて、気を取り直して(訳知り顔の仮面を被り直して)、夢と幽霊をかき分けながら、曲がり角に何度も振り回されているうちに、プラスチックゾーンを脱出、昔ながらの開けた田園地帯が広がる。夕焼け空を背景に、真っ黒な鯨のような山々が眠っている。大和三山に囲まれた三角形の内側なので、星々の位置を読む航海士か何かのように、どの山がどこにあるかでだいたいの居場所は想像できた。Google様のご加護を受けずとも、自分の位置くらい把握できる、液晶画面の上でちまちま踊らされるよりも、周りを見回し見渡し見返すべきだ!と、喉の奥底よりもさらに奥の見えない声帯で、聞こえない声で叫びながら、目一杯、二杯、三杯でも収まらないくらいにあたりを見渡すと、真っ黒い田んぼに囲まれていた。夕陽を合図に召喚されたのか、田んぼの敷地に縦横びっしりと、黒い盾の行列。兵馬俑のように、じっと堪えている。昼間には地面に当たるべき陽の光を一筋も漏らさずに吸い込みながら、無愛想なこの軍団は、エネルギーのお祭りに備えている。この寡黙な待機と引き換えに、朝から晩まで、私達は騒ぎに騒いで、エネルギーの神様に感謝の言葉を捧げる間もなくまた次のお祭りの始まりを告げられて踊る。この暗黒兵馬俑の足元にも幾らかは草が生えている。お祭り騒ぎの足元には、いつも雑草が潜んでいる。雑草の下には雑草の根が潜っている。忘れ去られた道具は人工物であるという情報だけを残して、自然の側に立脚点を移す場合もある。人から解き放たれた人工物を最初に受け入れるのは雑草で、草を枕に横たわる石造の遺跡も多い。逆に周囲の雑草がすっかり刈り取られ、まるで丸裸で鎮座しているような遺跡などは、建造当初とは別の役割を、人間から与えられている。その人工物が現在どのような役割を担わされているのか、あるいは解放されているのか、雑草の扱いを参考に考えることもできる。
私達自身は残念ながら、足元に雑草が生えて繁り栄えるまでは、待つことができない。律儀にも日が暮れる度に箱に戻って、そして箱に居続けることも嫌うので、草が生えるまで待機し続けることができない。山々は影になり、空間の黒さにほとんど沈んでしまった。ドリームランドの星々が浮かび上がり、煌めいている。そろそろ箱のほうに向かおう。
©Taro Izumi
(参考)奈良ドリームランド
奈良県にかつて存在した遊園地。ディズニーランドに憧れた創業者が1961年に開園。奈良県を代表する遊園地として一時は盛況を誇るが、2006年閉園した。