文化村クリエイション vol.3 西條茜 展覧会「やまの満ち引き」(2023.4.26-5.21開催)について、美術批評家の平田剛志さんにレビューを執筆していただきました。ぜひご一読ください。
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感覚の満ち引き
平田剛志
芸術の起源は動物にある。人類最古の絵画と言われる旧石器時代のラスコーやアルタミラの洞窟壁画には牛や馬、鹿などの動物が描かれているように、芸術と動物の関わりは深い。
なら歴史芸術文化村で開催された招聘アーティストによるリサーチ、制作、作品発表を行う文化村クリエイションvol.3 西條茜 展覧会「やまの満ち引き」は、かつての芸術と動物とのプリミティブな関係性や起源を感じさせるような展示だった。
西條茜は京都を拠点に陶を素材にした作品を制作している現代美術家である。近年は、身体性や内臓感覚の延長・拡張を試みた作品や作品内部の空洞に息を吹き込んで音を発生させるパフォーマンスも試みている。また、滋賀県立陶芸の森や佐賀県の有田町、オランダやフランスなど国内外各地のアーティスト・イン・レジデンスに参加し、その土地の歴史や物語から着想を得た作品も制作している。西條の作品は伝統的な陶芸技法というだけでなく、リサーチやフィールドワーク、パフォーマンスやサウンドを取り入れるなど多角的な作品制作が特徴である。今回のレジデンスでは、2023年2月初旬から4月に天理に滞在してリサーチと制作を行い、その成果を展示したのが本展である。
では、西條は天理の滞在でどんな活動をしたのだろうか。今回、西條がレジデンスのモチーフとしたのは「鹿」だった。言うまでもなく、奈良と鹿の関わりはよく知られている。鹿を神様の使いとして祀る春日大社や国の天然記念物に指定された奈良公園に生息する「奈良のシカ」などが挙げられる。今回、鹿がモチーフになったきっかけは、田原本町の清水風遺跡で発掘された弥生土器「鹿と武人の絵画土器」に由来する。土器には高床式の建物や盾と戈(か)という武器を持つ人物と鹿が距離感をとって描かれ、鹿と人間、山と里という境界が表されていたからだ。
西條はこれまでも身体や壺をモチーフに自己と他者、内部と外部、身体と物質など様々な境界に着目した作品を制作してきた。今回のレジデンスでは、鹿を神鹿と害獣、自然と文化の境界を往来する存在と捉え、鹿を異なる側面からリサーチした。具体的には、鹿の農作物被害の対策として柵や罠を仕掛ける農家や宇陀市の鹿革加工工場、五條市の食肉処理加工施設をリサーチし、鹿と関わる仕事や現場に触れた。それは猟師がけもの道を歩いて足跡や痕跡から鹿の存在や気配を感知するようなアプローチだった。
では、リサーチの成果展示はどのような内容だったのか。展示は文化村の芸術文化体験棟のスタジオと近隣にある納屋の2箇所で行われた。スタジオでは、ドローイングや写真、文献のコピー資料や鹿革の端切れ、映像作品が展示された。
《Skin》(2023、ビデオ、5分)は、山のふもとで風に揺れる暖簾を写した映像作品だ。暖簾は奈良県で害獣として捕獲された鹿の皮を薬品でなめしたセーム革の端切れをつなぎ合わせて制作された。陶作品を制作してきた西條にとっては初の試みである。暖簾は、店や部屋の仕切りに使われるが、ここでは山や自然と人間、獣と神、生体と獣肉、皮と革という揺らぐ境界線の象徴として用いられている。映像は昼から夜へと次第に画面が暗くなり、車のヘッドライトの光が画面を過ぎた後、暖簾が不意に倒れて終わる。暖簾が倒れる出来事は意図していなかった偶然だというが、暖簾の向こう側の存在や気配を想像させ、静かな余韻をもたらす。
続いて、芸術文化体験棟から徒歩10分ほどの田んぼのなかにある納屋には、《Mother's organs》(2023、陶)が展示された。薄暗い小屋の内部に入ると、壁面の棚や什器、ドラム缶などに有機的なかたちをした陶作品が展示されている。電球の微かな明かりと入口から差し込む自然光のみの空間は、胎内や窯のなかも思わせ、作品の胎動や生々しさを感じさせる。
これら丸みを帯びた臓器にも見える造形は、修復工房で知った京都・清凉寺にある釈迦如来立像の胎内に収められていた絹でできた内蔵模型、リサーチした食肉処理施設で解体された鹿から臓器が取り出される様子を見学した経験がもとになって生まれたという。
作品の素材となる土は、東乗鞍古墳の粘土質の土を市販の土と配合して用いられた。スタジオで土ひもを積み重ねて手捻りでかたちを作った後、滋賀県立陶芸の森で素焼きを行い、本焼きを縄文や弥生時代に行われていた焼成方法である野焼きで行った。そのため、赤色をした土肌にはひび割れや斑に焦げたような黒色がつき、野趣溢れる造形となった。あたかもそれは鹿の身体や胎内を傷めないように、もっともプリミティブな手によってかたちを生み、取り出すプロセスだった。
以上のように、本展ではモチーフや素材に鹿が用いられ、身体的、プリミティブな造形が特徴的な成果展示となった。西條は、奈良における鹿のリサーチを通じて、動物と人間、自然と人工、内部と外部、存在と不在、可視と不可視、光と影の境界を知覚させる作品と空間を生んだが、なかでも2つの会場を設けたのが効果的だった。なぜなら、鑑賞者が施設の内外を移動する道中、天理の自然や空気、風、光、温度、鳥の鳴き声や初夏の植物の匂いなど、天理の土地を身体で経験するからだ。通常の展示ならば鑑賞外の時間となる移動こそが、地域の自然や鹿の生息環境を鑑賞者に追体験させる「レジデンス(滞在)」となっていた。この時間を経ることで、鑑賞者は滞在作家の模索や探究、プロセス、鹿の生態、天理という土地の歴史を感覚として経験するのだ。
哲学者のエリザベス・グロスは「芸術は動物に由来する。芸術は理性や認識や知性から出現するのでも、人間に特有の感性や、人間の高次の才能から出現するのでもない。そうではなく芸術は、過剰で、予測不可能で、進化の程度が低いものから出現する。」 と述べた。
本展の西條のレジデンスは、こうした動物や自然の感覚を「修復」するような展示だった。修復工房が文化財を物理的に修復するのに対し、「文化村クリエイション」は歴史や風土に伝わる自然観や感覚を「修復」する場と言えるだろうか。文明やテクノロジーが発達した現代においては、作品と土地、身体とのつながりは薄れてしまう。だが、西條は本プログラムでアーティストと作品、素材、風土との境界線を溶け合わせ、歴史に埋もれた自然や動物の感覚を呼び起こす。その感覚の満ち引きが本展の一つの成果ではないだろうか。鹿と人の暮らしがつむいできた時間と世界が今後も共生できるのか。その問いの始まりに私たちはいる。
*1 エリザベス・グロス『カオス・領土・芸術 ドゥルーズと大地のフレーミング』
檜垣立哉監訳 小倉拓也・佐古仁志・瀧本裕美子訳、法政大学出版局、2020.5、105頁