アートで引き出す「生きる力」

 

芸術文化体験棟では、アート体験を通して一人ひとりの発想と個性を尊重する幼児向けアートプログラムを展開しています。

子どもが何をしたいのか、どんな発見があるのか、一人ひとりに寄り添い、創る過程を大切にするプログラムを通して、子どもの中の「自己肯定感・自尊感情」が目覚め、いつしか「他者への寛容なこころ」が育っていく…。

イタリアのレッジョ・エミリア・アプローチを参考に展開する奈良県独自のアートプログラムは、子どもの「生きる力」の土台をつくり、すべての子どもの可能性を大きく拡げる取り組みです。

 

「てでかんがえる」和紙

 

紙をくるくる巻いて、広げて、またくしゃくしゃっとして…何度もそれを繰り返し、「くるっとすると綺麗になる」とうれしそうなSくん。

Tちゃんは、和紙を巻いて細い筒状にしたものを、次々つないでいくことに静かに熱中しています。

この日は手を動かしながら様々なことを考え、感じとることを大切に、同じメンバーで一つのテーマに取り組む「てでかんがえるvol.3~和紙」の3回目。五感で「和紙」を感じられるように素材や道具の配置にも細やかな心配りがされた体験学習室に5人が集まり、心の向くまま、和紙と向き合いました。

和紙と向き合う子どもたち

 

やりたいことに寄り添って

和紙を濡らして、重ねて、を繰り返すうち「あ、こんなの出てきた!」と小さな球状の繊維を見つけたSちゃんに「わ~すごいね。みんな見て~」と声掛けするスタッフ。

和紙をマイクロスコープで眺め、「わーすごい繊維がいっぱいや~」と歓声を上げていたShくんはいつしか、体験学習室にあるさまざまな和紙の長さを測り、一番長いものを見つける、というアプローチを始めました。そんなShくんのため、スタッフは脚立に乗り、天井近くにしつらえた和紙を取りはずしてあげています。

「自分がやりたいこと」を家族以外の大人が認め、寄り添ってくれる、この体験はきっと子どもの心に残り、「自分と違うことをする人」を受け入れることのできる大人に育つ…。

当村の幼児向けアートプログラムプランナーである松長は「子どもたちが自分に自信を持ち、他人のことも認められる、そんな世界になることを心から願っている」とこのプログラムへの思いを話します。

 

 

仲間と一緒に


「てでかんがえる」は全6回。5人の子どもたちは今回のテーマである和紙と向き合う体験を重ね、「和紙でどんなことができるかな」とみんなで相談し、最終日となる6回目に大人に向けて発表します。

でも、いわゆるアート作品をつくるのが目的ではなく、大切なのは、そこにいたるまでの過程。そして、同じメンバーで継続的に活動するからこそ、共同(協同)する力も育ちます。

ふと見ると、先ほどまで和紙を濡らして何層にも重ねることに熱中していたYちゃんが、和紙の長さを測っているShくんに近づき、ものさしの片方を押さえてあげていました。

力を合わせる子どもたち

 

奈良発のプログラム

このプログラムはイタリアのレッジョ・エミリア・アプローチを参考に展開する奈良県独自の取り組みです。

自分の町の子どもたちのために、イタリアの大人たちが始めたレッジョ・エミリア・アプローチの理念を詩で表現した「子どもは100の言葉をもっている。」は、https://www3.pref.nara.jp/bunkamura/100kotoba/ でも紹介しています。

「この理念をとり入れつつ奈良の子どもたちに最適な形で展開したい。」イタリアの取り組みは、イタリアの文化・風土にあったもの。日本にあった形、さらには奈良の子どもたちにふさわしい形の展開があるはず、との思いでプログラムを考え、実践してきました。

 

奈良らしい素材で

文化村開村以来、1テーマ全6回で展開する「てでかんがえる」、当日先着順で参加を受け付ける「そざいきち」などのプログラムを実施しています。

「てでかんがえる」は奈良県ゆかりの素材を使って子どもたちに体験を広げてもらうもの。

これまでに取り上げたテーマは和紙と粘土。和紙は吉野町の「福西和紙本舗」でつくられている宇陀紙、粘土は天理市の「奈良県瓦センター株式会社」の粘土を、それぞれ素材として展開しました。和紙は文化財の修復にも使われる素材で、粘土も文化財の修復や鬼瓦などに使われているものです。

粘土と向き合う子どもたち

 

 

いずれのテーマも子どもたち自身が「五感で感じること」「自ら気づくこと」を大切に活動を進めてきました。

スタッフたちが作った詳しい活動記録を見ると、子どもたちの様子が手に取るように分かります。

2022年9月に展開した「てでかんがえるvol.1和紙」では、和紙に触った子どもたちは「がさがさ」「ちくってする」「めっちゃ軽い、飛びそう」などそれぞれの言葉で表現しました。ちぎってみると「かたい」「粉みたいなものが出てきた」「噛むとまずい」などさまざまな感じ方があります。

長い和紙を体に巻いたり、サーキュレーターの風で飛ばしたり、色水を吸うかどうか実験したり…。

和紙の表面が「少し汚れている」と言った子が、室内の楮(こうぞ)に気がついたタイミングで、スタッフが子どもたちを集めて和紙の原料である楮を見せることで、楮が和紙の原料であることを実感した子どもたち。

さわって、気づいて、話を聞いて…。「これは、こういうこと?」と気になることを繰り返し質問する子もいます。

そんな体験のすべてが頭ではなく体の中にしみ込んでいく。松長は「子どもたちの中で、一つひとつ、パズルのピースがはまっていく感じ。こうして知ったことは実感としてずっと残っていくのではないかと思う」と話します。

11月に始まる次回の「てでかんがえる」のテーマは「蚊帳」。蚊帳生地を通して子どもたちがどんな活動を展開するか、とても楽しみです。

事前に予想していた子どもたちの行動や発言と実際の子どもの様子を色分けした活動記録

 

一期一会で広げる

「そざいきち」は未就学児(0~6歳)対象のプログラム。奈良県独自の幼児向けアートプログラムをより多くの子どもに広げようと、たまたまその日に文化村を訪れた人もこのプログラムに出会える当日受け付け制にしています。

これまでに「ひかりとかげ」「いろらぼ」、サイズや種類の違うパイプなどを自由につなぐ「つむ ならべる つながる」、室内に仕掛けられた柱や紙管、フックなどにスズランテープを通したり、ひっかけたりして自分の「みち」をつくる「みち・あと」、白い素材、白い絵の具を使い感触を意識した「いろいろぬるぬる」などの遊びを楽しみました。

松長はある時、「そざいきち」のリピーターの保護者から「(子どもを)ここに育ててもらっています」と心あたたまる言葉をかけられ、「この活動の意義をご理解いただいていること、本当にうれしいです。」と話します。


このプログラムを文化村から奈良県内の幼稚園や保育所、認定こども園に、さらには各家庭にも広げようと今年9月から、幼稚園の先生や保育士さん教育関係者対象の事例紹介企画もスタートしています。

「みち・あと」のひとこま

「いろいろぬるぬる」のひとこま

 

本当の教育とは

現在、幼児向けアートプログラムを担当しているのは、松長と澤井、中野の3人です。

(左から)松長大樹、澤井るい、中野優子

 

澤井は元保育士、中野は元幼稚園教諭。松長は彫刻家として自身の創作を追究していた時、子どもの表現の多様さに出会い、一人ひとりの表現を尊重することの大切さを知ったといいます。

松長のさらなる願いは、今、このプログラムに参加している子どもたちが親になった時、「あの楽しかった経験をわが子にも」と自分の子どもを連れて来てくれること。「その時が来て、ようやくスタートだと思う」と話します。

教育の成果はすぐには見えません。だからこそ、奈良県では行政が主体となって長期的な視点でこのプログラムに取り組んでいることに大きな意義があると思っています。世代を超えて、このプログラムが続き、進化していくようにみんなで見守ってください。