各界の識者が語る「わたしの記紀・万葉」

第5回 奈良県観光ボランティアガイド連絡会会長 木村 三彦氏

記紀の記述は、古代人の知恵。
古代人との対話を楽しみながら読んでほしい。


奈良県観光ボランティアガイド連絡会 会長 木村三彦氏

約30年前に、記紀の輪読をスタート


木村さんは、奈良県内のボランティアガイドのまとめ役としてご尽力いただいています。
木村 奈良県内に33のボランティアガイドの会があります。
それぞれの市町村ごとに独自で活動しておられる点を尊重しながら、連絡会では情報交換と交流が主で、一緒にやれることがあれば協力して、奈良の観光に役立てようという組織です。
最近は、ボランティアガイドの活動も広域化してきています。
数年前までは、自分の市町村のことだけ案内できていたらそれでよかったのです。
ところが、お客さんのニーズとレベルが上がってきました。
これはインターネットの影響もあって、例えば、橿原市内をガイドしているときにも、近隣の明日香村や桜井市にもこういうところがありますよと、そういう情報提供ができないと満足していただけないようになってきています。
我々はガイドの広域化といっています。
そういう変化に対応する目的もあって、連絡会では、情報交換する会議を年に4回、各地を訪れる研修を年に2回行っています。

木村さんが、この観光ボランティアガイドというものに足を踏み入れられたきっかけは?
木村 歴史に本格的に興味をもったのが今から約30年前、40歳のころです。
きっかけは、白橿町というニュータウンに住むようになったとき、郷土の勉強をするサークルを作ったことです。
そこで、『古事記』とか『日本書紀』の輪読をすることになりました。
同時に読むだけではなく、やっぱり現地に行こうということで、県内のゆかりの地を見て回ったんです。
そのうち、記紀だけでなく、『万葉集』やほかの文献のゆかりの地も回るようになりました。
古代史に限定したわけでもないんですが、奈良県の場合はやっぱり古代史がなんといっても華やかですから、どうしても古代中心になるんですけどね。
その後、平成12年、僕の定年退職から2年後に橿原のボランティアガイドの募集を知り、応募しました。
自分の知識が生かせるし、ガイドをするのも自分の任務のひとつかなということで、やりだしたんです。
それまでのお仕事は、歴史と関連する業種だったのですか?
木村 まったく関係ない会社でしたね。
個人的に本とか歴史が好きだっただけで。
30年ほど前までは、「記紀・万葉集」をひもといてみようという人も少なくて、だからこそちょっと集中的にやってみようという気持ちになったんです。
今回、奈良県がこういうプロジェクトを組んで、にわかに脚光を浴びてきたことはうれしいです。
ところで、『古事記』と『日本書紀』を輪読で全部読むにはどれぐらいかかりますか?
木村 月2回ずつで、現代語訳ではなく、読み下し文を輪読して、ペースによって違うと思いますが、僕たちの会では『古事記』で2年、『日本書紀』で7年はかかりました。
それを二回ずつやりました。
すごい。頭にしっかり入るでしょうね。
木村
いやいやそんなの、入りませんって(笑)。
二回読んだから終わりじゃなくて、積み重ねに意味がある。
輪読して、親しみがわいたという程度で。
でも、輪読会という形をとったのが続いた秘訣です。
個人で読んでても続かへんですよ。
ぜひ、これから「記紀・万葉集」を通読したいという人は、仲間といっしょに始めると、途中で挫折しないかもしれませんね。
木村
人数は5人から10人ぐらいが、ほどよく順番が回ってきて、おすすめですよ。
記紀の場合は、意味がこまかくわからなくても、とにかく声を出して読むということが大事だということを実感しました。
僕たちも最初はね、なかなかすらすらは読めません。
僕たちの会には、学者さん、研究者はひとりもいませんでしたしね。
それでも続けていって、ああでもない、こうでもないと意見を出しながらやっていくうちに、慣れてきて。
慣れるということが大事です。
それから、『日本書紀』より『古事記』のほうがいくらかとっつきやすい。
だから、今年は古事記編纂1300年の節目の年でもありますし、ぜひ『古事記』からどうぞ。
それと、現代語訳もいいですけど、まずは読み下し文を苦労しながら、読むことをおすすめします。
記紀の独特の言葉とか、言い回しとか…けっこう面白いんですよ。
例えば、「な怠りそ」で「怠ってはいけない」という意味になるとか。
天皇と書いて「スメラミコト」と読むとか。その響きを楽しんでみてほしいです。

お気に入りの記紀ゆかりの地


ふだんあちこちを案内されている中で、記紀・万葉と奈良とのつながりの深さを実感しておられるでしょうね。
木村 奈良県全般でいうと、『古事記』の神代の巻にでてくるゆかりの地はそれほどないんです。
そのあまりない中で、天の香久山(あまのかぐやま)とか、橿原に関わるものが多い。
いわゆる神武天皇の時代になると橿原が中心になってきますから。
むしろ『日本書紀』のほうが、いわゆる大和とのつながりは深いかもしれないですね。
飛鳥時代が出てくるのはこちらですから。
『万葉集』にもついてはどうですか。
木村 『万葉集』もいっぺん輪読会やりました。
こちらは全部ではなく、犬養孝さんの『万葉の旅』という本を読みました。
『万葉集』のあとは、『風土記』もちょっとやったり。
歴史的な文献を学びつつ、ボランティアガイドとして、多くの「記紀・万葉集」ゆかりの地を実際に案内されておられると思います。
その中でも、特にみなさんに行っていただきたい場所はありますか。
木村 あくまでも主観ですが。
一番雰囲気があるのは御所市の高天原(たかまがはら)でしょうね。
本来、高天原というのはあくまで天上の世界です。
後に、御所の高天(たかま)というところが記紀にでてくる高天原だったという伝説が、くっついたわけです。
高天は、金剛山の中腹で、眺めのいい大地です。
足を運ぶと、あそこに、高天原の伝説がくっついたことが納得できます。
それから、御所の北のほうに、綏靖(すいぜい)天皇の葛城高丘宮跡(かつらぎのたかおかみやあと)伝承地というのがあるんです。
すごく眺めがいいですよ。
真下に大和三山が見えてね。
大正4年に、いわゆる宮跡伝承地ということで奈良県教育会が建てた碑もあります。
教育委員会とはまた違う集まりで、奈良県下の宮跡伝承地に次々と碑を建てたのが、残っています。
神武・懿徳(いとく)がありません。
孝昭(こうしょう)・孝安・孝霊・崇神(すじん)・推古とか、残っていますね。
その天皇が実在したか、実際に宮跡だったかどうかは別にして、宮跡伝承地があるということは、そこがいいところだと思われてきた歴史があるということです。
天武天皇が、古代の律令国家を作る段階で、『古事記』や『日本書紀』で、初代の神武天皇からずっとつながっているんだといって、国を治める権威を示したんでしょう。
だから、初代の神武天皇の御陵もないとつじつまが合わなくなる。
場所の信憑性よりも、僕は、当時の人が「ここは神武さんの墓だ」というふうに信じていたことを大切にしたいと思います。
こういうのは、歴史的事実と違う、「気持ちの上での事実」といっていいのかもしれません。

伝承や伝説も含めて、「歴史」になった

記紀・万葉の世界を楽しむには、そのふたつの事実がない混ぜになっているところをむしろ面白がるといいのかもしれませんね。
木村 伝説とか、伝承とか、そういう歴史的事実でない部分もたくさんありますが、そういった伝承が作られ、あるいは伝説が作られたこと自体が歴史なんだと僕は思います。
考古学も大事ですよ。
だけど、考古学一辺倒ではなく、記紀を初めとする文献と結び付けて、歴史を理解したいと思います。
ただし、ガイドするときは、記紀にはこう書かれている。
何年にできた…そういう客観的な事実だけを提供するよう心がけています。
それが歴史としてどうなのかは、みなさんそれぞれ考えてもらったらいい。
おすすめの場所の続きをいうと、山の辺の道を歩いて、檜原神社からちょっと北へ行ったところも倭建命(やまとたけるのみこと)の思国歌(くにしのびのうた)の碑があるあたり。
あの辺から見る眺めもいいですね。それから、明日香村の稲渕の辺り、蘇我蝦夷(えみし)・入鹿(いるか)の邸宅があったという甘樫丘(あまかしのおか)。
そこらへんが好きなところです。
飛鳥・橿原周辺は、基本的には埋蔵文化財が多い。
つまり、いまは見ただけでは何も伝わらない場所が多いんです。
東大寺や法隆寺を見て感じる良さだとしたら、こちらは肌で感じる良さです。
そこを説明することで、みなさんが肌で感じはるのを手助けする思いで、これからもガイドをやっていきたいと思います。
記紀・万葉プロジェクトを機に、ぜひ「記紀・万葉集」に親しんでいただいて。
記紀に記されていることは、古代人の一種の知恵ですやんか。
古代があって現代があるわけやから、古代人の考えていたことが現代人にも通じるなということは当然あるし、時には教えてもらえることもあります。
一種の対話ができるということです。
記述を全部うのみにする必要はないけど、子どもさんでも、大人の方でも、自分なりに自由に楽しむことから挑戦してみたらいかがでしょうか。
きむら・みつひこ
プロフィール
1937年 大阪府生まれ。
2000年より、ボランティアガイドに。
2010年より、連絡会会長。