各界の識者が語る「わたしの記紀・万葉」

第4回 元奈良文化財研究所所長 田辺 征夫氏

『古事記』は、小説を読むような感覚で素直に面白がってほしい。


元奈良文化財研究所 所長 田辺征夫氏

ヤマトタケルノミコトが原点

田辺先生と『古事記』『日本書紀』『万葉集』の出会いはいつ頃でしたか?
田辺 高校の先生に高井悌三郎という考古学の専門家がおられて、その先生の授業に『古事記』の新治(にいはり)の歌が出てきたのが最初でした。
先生は、昭和18年頃、茨城県で、常陸国新治の発掘調査をして、地方の役所である古代の郡衙(ぐんが)とお寺がセットになっているということを発見した方です。
そういう立派な仕事をされた先生の授業は非常におもしろくて、教わった新治の歌を今でもずっと覚えています。
「新治 筑波を過ぎて幾夜か寝つる(新治、筑波を過ぎて、幾夜寝たことであろうか)」、「日々並べて 夜には九夜 日には十日を(日数を重ねて、夜で九夜、昼で十日でございます)」ってね。
これは『万葉集』の歌かなと思っていたのですが、あとになって調べたら、『古事記』に出てくる倭建命(やまとたけるのみこと)が詠んだ歌とその返歌だったのですね。
その後、大学で古代史の先生から『常陸国風土記(ひたちのくにふどき)』を教わった時、新治の歌を思い出して、親しみを感じたので、夢中でその講義を聴いた記憶があります。
『日本書紀』のほうは、仕事で7~8世紀の遺跡を発掘するようになってからですね。
『日本書紀』もその次の『続日本紀(しょくにほんぎ)』も、資料として発掘遺物と対比しながら作業をするわけですから、仕事に欠かせない資料という感覚です。

『古事記』と『日本書紀』って、ひとくくりにして「記紀」と言う場合も多いのですが、田辺先生にとっては、かたや「オンの文献」、かたや「オフの文献」という感じでしょうか?
田辺 そうですね。『古事記』は小説を読むのに近い感覚で、「あ、こんなんウソやな」とかそういうことをいちいち考えないで、素直に「おもしろい、おもしろい」と思いながら、楽しんで読めます。

『万葉集』についてはいかがですか?
奈良には『万葉集』ゆかりの場所がたくさんありますが。
田辺
特に飛鳥は『万葉集』にたくさん詠われていますね。
「やまとは国のまほろば たたなづく 青垣 山こもれる やまとしうるはし」も、なんとなく『万葉集』の歌だと思っていたけれど、これも、『古事記』に出てくる倭建命(やまとたけるのみこと)の辞世の歌なんですね。
私は三重県鈴鹿市の生まれ。
あの辺りは「国府(こう)」という地名で、昔の国の行政機関があった場所ではないかと言われていた。
最近の調査では、ちょっと違う場所から古代の国府が見つかっていますが…。
近くに能褒野王塚古墳(日本武尊能褒野陵)という大きな古墳もあるんです。
「やまとは国のまほろば~」は、倭建命(やまとたけるのみこと)が三重県の能褒野(のぼの)で亡くなる際、大和を偲んで詠った歌です。
今思えば、子どもの頃から「ヤマトタケルがここで死んだんだよ」とか、そういう話を聞いていたんですね。
だから『古事記』には何か因縁があるというか、こういう仕事をするようになったのも、やっぱり何かつながっているんだなと思いますね。

三重県の能褒野という地名が出ましたが、奈良県内の「記紀・万葉集」ゆかりの地で、お好きな場所や印象に残っておられる場所はありますか?
田辺
奈良はどこへ行っても記紀・万葉の世界と結びつきますから、ほかの地域の人から見ると、特に歴史や国家の成り立ちに興味のある人にとっては、非常にうらやましがられる場所だと思います。
その中から、特におすすめの場所を挙げるとすれば、山の辺の道(天理市、桜井市など)がおもしろいんじゃないでしょうか。
景色もいいですし、歴史を感じさせる雰囲気がまだ残っています。
あとは、太安万侶墓(奈良市此瀬町)。
一度訪れて、現地で感じてみて欲しい。
そして、「なぜこんなところに葬られたんかな」などと想像をめぐらせてみてください。

写真で見るだけでなく、知識として得るだけでもなく、現場に立ったときの雰囲気を感じるのが大切ですね。
では、奈良県外の「記紀・万葉集」ゆかりの地で、行ってみたい場所などはありますか?

田辺
どこまでが史実かわからないけども…。
日本中にたくさん残っている倭建命(やまとたけるのみこと)の伝承地へはいつか行ってみたいなと思ってるんですよ。

やっぱり、倭建命(やまとたけるのみこと)ですか(笑)。
田辺
ねぇ。私にとって原点みたいですね(笑)。
若くて頭の柔らかいときに新治の歌を教えてもらったから、ずっと頭に残ってるんですよ。
「新治 筑波を過ぎて幾夜か寝つる」って、調子がよくて覚えやすかったのもよかったんでしょうね。
先日、これも倭建命(やまとたけるのみこと)にゆかりのある、雪の伊吹山(滋賀県と岐阜県の県境にある山)の写真を、新幹線の中から夢中で撮りました(笑)。
伊吹山って山肌をガッと削ってるでしょう。
何であんなことをしたのかねぇ。惜しいですよね。

大和は日本人のルーツを感じられる場所

海外に行かれる機会も多いと思います。
海外で歴史を感じる場所や、記紀万葉集ゆかりの地で、こういう風な保存の仕方を取り入れたらいいんじゃないかと思われる場所はありますか?
田辺
40代のときに1人で3ヵ月ほど海外へ行ったことがあり、そのうち2ヵ月はギリシャに滞在していました。
アテネのパルテノン神殿のそばに宿を取って、ギリシャをあちこちまわって、他に予定のないときはほとんどパルテノン神殿へ登ってたので、宿のおばあちゃんに「あんた、よっぽどパルテノン好きなのね」ってからかわれて(笑)。
パルテノンに登って、ただボーっとしていました。
あれは本当にいい時間だったなぁ。
歴史の原点に浸るという意味では、この経験が忘れがたいですね。
そういえば、そのとき、ヨーロッパ各地から高校生ぐらいの学生が団体で歴史を勉強に来ていて、先生が解説している様子を聞くともなく聞いていたら、自分たちのルーツを説明しているような感じでおもしろかったですね。
そういう場所が世界のあちこちにあるんでしょうけど、ヨーロッパの人にとっては原点は、ローマ、ギリシャなんですよね。
大和も山の辺の道なんかを歩いていると何か懐かしい気持ちがするのは、日本人のルーツとつながるからなんです。
だから観光地としてだけでなく、自分たち日本人の源流がここにあるんだと感じてもらえるような発信の仕方ができるといいですよね。

ところで、田辺先生は、長い間平城宮跡でお仕事をされていましたが、記紀が編さんされた場所が平城宮跡のどこにあるかはまだわかっていないのですか?
田辺 ええ。図書寮(ずしょりょう)という編集センターのような施設があって、そこで『日本書紀』を編さんしていたと文献史の方は言っていますが、まだ場所は推定されていません。
発掘に携わっている人は、おそらく平城宮跡のどこかにあるだろう、図書寮の跡や編さんの元になった木簡が出てきたら編さんの過程がわかるんじゃないかという思いを持っているでしょうね。

平城宮跡は広く、発掘が済んでいる部分はほんの一部だそうですね。
田辺 50年以上かかって30%くらいですね。
だから図書寮もいつ見つかるかわからないけれども、それはひとつの大きなロマンですよね。

そのロマンが、今埋まっているということですね。楽しみにして待ちたいと思います。
最後に、田辺先生の場合、背景として倭建命(やまとたけるのみこと)があって、さらに高校生のときに素晴らしい先生との出会いがあって歴史の道へ進まれたわけですが、今のお子さんや若い方たちに「記紀・万葉集」に親しんでもらうには、どうすればいいのでしょうか。
田辺
古典はそのままでは難しいですからね。
私たち専門家でも、原文のままスラスラ読めるわけじゃないんですよ。
それに、歴史が好きなのはお年寄りで、子どもたちが歴史に興味を持たないのは当然というのが、私の持論です。
どうしてですか?
田辺
それは、年をとってきたら、前を向くよりも後ろを見たほうが楽しいわけです(笑)。
振り向くと、自分の歩んできた歴史があり、さらに自分につながる過去があって、そっちへ興味が向いていく。子どもたちには未来のほうが長いわけだから、過去に目が向きにくくても当たり前なんですよ。
私のように子どもの頃から歴史に興味がある子は、変な子なんです(笑)。
クラスに1人か2人は歴史が大好きっていう子がいるだろうけど、それは、今も昔も「変わり者」という目で見られるのでは。

なるほど(笑)。歴史好きな子どもや若者はもともと少数派。
ただ、数年前から「歴女(れきじょ)」と呼ばれる戦国時代に魅入られた女性や、仏像やお寺巡りが好きな「仏女(ぶつじょ)」「寺ガール」などという言葉ができたりしていますが。

田辺
そうらしいですねえ。
でも、戦国時代に興味を持つのは、戦国時代の人間模様が多彩でおもしろいし、わかりやすいからでしょう。
今みたいに、未来に展望が持てないとか、将来の年金が不安だとか、前を向いても楽しくない、過去を振り返ってるほうが楽しいってことになってきたら、もっともっと歴史愛好家の若者が増えるかもしれませんね(笑)。
ただ、癒しを求めて仏像とか歴史に興味を持つのはいいけれど、若者が過去に埋没してもらうだけでは困るので、過去に何かエネルギーをもらうような触れ方をして欲しいと思います。

小学校の国語の教科書に『古事記』の中の物語が取り上げられるようになったようですね。
田辺
比較的早いうちにそういうものに触れる機会を広げるのは大事なことですね。
『古事記』にはおもしろい話がたくさん載っていますから、わかりやすい現代語訳や子ども向けのものが、もう少しあるといいのかなと思います。
子どもには読ませたくないような生々しい話もありますけども(笑)。
小学校の先生たちが噛み砕いて伝えてくれるといいですよね。
我々のような専門家は、大人に話をしても「かたい」「むずかしい」などと言われるのでダメですよ。
もちろん、学ぶということは、難しいものを自分でひも解く喜びもあるわけですから、何でもかんでも易しくすればいいというわけではありませんが。
先日テレビを見ていたら、韓国の歴史ドラマ「トンイ」などのヒット作を手掛けた監督が言っていましたが、「韓国で歴史ドラマが大ヒットするようになったのは、セリフやテンポを現代語に変えてからだ」と。
日本の時代劇だって、昭和30年代までの東映映画の奥方はちゃんとお歯黒を塗ってたし、お公家さんは眉毛を剃っていた。
それでは誰も見なくなったのか、いつの間にかそういうのはなくなって、大河ドラマも今は衣装だけが時代劇で、実質は現代劇でしょう。
記紀・万葉の世界も、実際に触れれば、きっとおもしろがってもらえると思うんですが、では、触れる機会をどう作るかというと、やっぱりわかりやすい、現代感覚の上手な入門書が要るんでしょうね。
まず、とっつきやすくする工夫をしないといけないですね。

そうですね。そして、田辺先生にとっての新治の歌のように、一生覚えていられるような「記紀・万葉集」の一節があったら、素敵だと思います。
本日はどうもありがとうございました。
たなべ・いくお
プロフィール
1944年 三重県生まれ。
慶應義塾大学文学部卒業。
元奈良文化財研究所所長。奈良県特別顧問。奈良県立大学特任教授。
主な編著書に『地中からのメッセージ 平城京を掘る』、『平城京 街とくらし』などがある。