各界の識者が語る「わたしの記紀・万葉」

第6回 東京芸術大学名誉教授・洋画家 絹谷 幸二氏

本当に新しいものは、遠い過去の中にこそある
子どもの頃から、神々の話を見聞きしていました。

東京芸術大学名誉教授・洋画家  絹谷 幸二氏
絹谷先生はお生まれもお育ちも奈良とうかがっております。
『古事記』や『日本書紀』と出会われたのはいつ頃ですか。
絹谷 小学生くらいでしょうか。稲羽(いなば)の素兎(しろうさぎ)、八俣(やまた)の大蛇(おろち)、海幸彦・山幸彦、神倭伊波礼毘古命(かみやまといわれびこのみこと・神武天皇)の鵄邑(とびのむら)の話など…。
私は戦前生まれですから、まだそういう神々の話もよく見聞きしておりました。
また、子どもの頃、大台ケ原に登山したり、大峰山に講(こう)を組んで登ったりすると、霧の中で光がパーッと差してくる光景などを見ることがあり、そういった実体験と神話の世界が重なって、霊気というか何かそういうものを感じることもよくありました。
神々の存在を身近に感じておられたということでしょうか?
絹谷 ええ。それに、お盆や何かの行事があるたびに、うちにはいろいろな社寺のお坊様や神主さんがお参りに来て下さっていたのですが、そのときに上げられる祝詞(のりと)の中に神々の名前が出てきたり。仏様も神様も非常に身近な存在で、家の中にいっぱいいらっしゃった。
一緒に育ったようなものです(笑)。
『万葉集』についてはいかがですか?
絹谷 『万葉集』の場合は、中学生くらいでしょうか。
ロマンチックな恋の歌なんかもありますし…。
私は、歌誌『日本歌人』主宰の歌人・前川佐美雄(まえかわ さみお)さんの息子さん前川佐重郎(さじゅうろう)さんと中学で同級だったんです。
今は佐重郎さんが『日本歌人』を主宰しておられますが。
その『日本歌人』は現代和歌ですが、古典の『万葉集』をとても大切にしておられます。
昔、奈良には二つのサロンがあったらしいんですね。
一つが前川佐美雄さんのサロンで、もう一つが東大寺の上司海雲(かみつかさ かいうん)さん。
後者のサロンは我が家(明秀館)を拠点として、作家の志賀直哉先生、写真家の入江泰吉先生、数学者の正田建次郎先生、画家や舞踊家、いろんな文人墨客(ぶんじんぼっかく)が来ておられた。
サロンは古いものに親しんだり、舞ったり踊ったり、知的な会話を楽しむ場所だったんですね。
その和歌や踊り、日本のいわゆる音曲の世界の基本になっているのは、やはり『万葉集』の恋の歌やなんかです。
昔は歌が歌えて、和歌も作れて、書、踊り、絵も嗜むというのがすごく大切なことだったんですね。
それができない人が、仕方なく勉強して、就職して仕事をするというような…(笑)。
価値観が今とは大きく違ったんですね。
絹谷 私が留学したイタリアには、今もそういうところがあります。
「Amore、Cantare、Mangiare(アモーレ、カンターレ、マンジャーレ/愛して、歌って、食べて)」という言葉があるのはその証拠です。
仕事はその合間に少しして、後は人生を楽しむという風です。
先生の作品からは、おおらかでエネルギッシュな生命力を感じることが多いです。
それは、『古事記』などにあるような、大らかな表現に通じるものがあるようにも感じたのですが…。
絹谷 子どもの頃から、まほろばの豊かな世界を感じていたんでしょうか。
まぁ、『古事記』の話のところどころには、かなりきわどいところもありますが(笑)。
でも、決して卑猥(ひわい)ではなく、おおらかな、生きとし生けるものの生気というか、生命力みたいなものを何か感じていましたね。
私はこれまで、ギリシャ神話などもモチーフにしていましたが、今度はいよいよ記紀・万葉の世界だなと思っています。
実は、そういう思いは学生時代からあったんです。
ですから、今回の記紀・万葉プロジェクトに合わせ、秋に奈良県立美術館で展覧会をさせていただくことになって、今、武者震いしているところなんですよ。
新作を出展しますが、自分自身が日本の神話の世界観をこの短期間でどこまで表現できるのか楽しみです。
先生が学生時代から温めてきたものに、作品として会えるのはとても嬉しいことです。
絹谷 私も嬉しい限りです。ただ、記紀・万葉を題材に扱った場合、ちょっと古くなる危険があるんですね。
ですから、そこに、私の感じる世界を重ね、新しいものを創りたいと思っているんです。
「新しいものは、身近な現代にあるのではなく、遠い過去・歴史の中にこそある」と私は昔から思っています。
そもそも、高松塚古墳が出てくる前から、(高松塚古墳の壁画と同じ技法である)「アフレスコ画」を学んで、現代とマッチングさせた作品を創ってきました。
今回、記紀・万葉をテーマに作品をつくることになって、「ああ、これはやっぱり奈良に引き寄せられていくんだなぁ」という因縁のようなものを感じています。

現代の日本は、古代から学ぶべきことがたくさんある

若い方やお子さんに、『記紀・万葉集』のような、古い書物を読む喜びのようなものをアドバイスいただけますか。
絹谷
何事をするにも、楽しかったら時間を忘れるんですよね。
日本人は一生懸命やるっていうのが得意なんですけども、それを少しおもしろがって読むとか、おもしろがって歌うとか、そうするといいんじゃないでしょうか。
例えば、旅とのコラボとかね。
東日本大震災の後に、日本芸術院の「子ども 夢・アート・アカデミー」という社会貢献事業で、福島や石巻など全国の小中学校を37校回らせていただいたんです。
長崎県の五島列島にも行きましたが、三井楽(みついらく)というところがあって、ここから遣隋使や遣唐使が東シナ海の大海原へ出て行ったんだなぁ」とか想像すると、とても楽しいんですよね。
自分の旅と古代の人たちが歩んだ道と、記紀・万葉の世界が重なってきて、旅が何倍にもおもしろくなるんです。
とにかくおもしろがってやれば、私の秋の展覧会の新作も1作ぐらいはいいのができると思うんですけどね…(笑)。
皆さんも、絵でも映像でも歌でもよいので、自分が好きなものと「記紀・万葉集」と組み合わせて楽しんでみてはどうでしょうか。
その方法だと、趣味の世界も深まり、「記紀・万葉集」の敷居も低くなる。
一石二鳥ですね。
絹谷 二鳥といわず、一石三鳥も四鳥も楽しんでいただければいいかなと思います。
奈良の記紀・万葉ゆかりの地で、県外や海外の方に来ていただきたい場所はおありですか?
絹谷 大台ケ原の神倭伊波礼毘古命(かみやまといわれびこのみこと・神武天皇)の像がある辺りとか、二上山の麓とか。
『万葉集』なら飛鳥ですね。
奈良県ではありませんが、蘇我・物部の八尾。
もともと堺も奈良の港ですから、記紀・万葉の時代の話をするときには、八尾も入れてもいいんじゃないかと思いますけどね。
天王寺や四天王寺、土蜘蛛の葛城の麓…、挙げればきりがありませんね。
何もないようなところでも想像力で楽しめます。
例えば、記紀・万葉の旅をコースにして、携帯電話で調べれば導いてくれるようなものがあればいいですね。
先生は渡航経験も豊富でいらっしゃいます。
新鮮な感覚でいろんな方が歴史と触れあえるような外国の施設があれば、ぜひ教えてください。
絹谷 いっぱいありますよ、ナポリの美術館もいいし、スペインの美術館もいいし…。
ロンドンの「ヴィクトリア&アルバート博物館」では、作品が仰々しいケースの中にあるのではなく、触れられるような距離で見ることができる。
レプリカを展示しているんですけどね。
それから、ノルウェーの首都・オスロから3kmほど北西にあるフログネル公園の中に、「ヴィーゲラン彫刻公園」というのがあります。
彫刻家のヴィーゲランがそこにアトリエを構えて、生涯その庭園を造っていたんですよ。
今でもヴィーゲランの作品ばかりが何百点も展示されていて、自由に見ることができるようになっている。
アメリカだと、亡くなった友人の、ドナルド・ジャッドという現代美術の作家が、テキサス州マーファにある陸軍基地だった砂漠の土地を買い取って、格納庫やなんかの廃屋に自分の作品をたくさん置いてるんですよ。
そんなスケールの大きい展示や、ロンドンの美術館のように無料で気軽に芸術と触れあえる施設が身近にあるといいですね。
あとは、奈良にぜひ「絹谷アフレスコ画美術館」があればいいなと思うんですけど(笑)。
先生にとってふるさと奈良とは、どんな場所なのでしょうか。
絹谷 遠くに離れれば離れるほど奈良が恋しくなる。そんな大切な場所です。
故郷とは、自分自身を創ってくれた場所のことだと思います。
離れれば離れるほど故郷が近しくなるように、時間的にも、むしろ未来のほうへ行ったほうが伝統あるものを、より近く感じられるのではないでしょうか。
私は先ほども申し上げたように、歴史や古いものの中からヒントを見つけ、真の意味での「新しいもの」を創造しようと取り組んできました。
遠い過去の中にこそ、一番根本的で新鮮なものがあるはずです。
「記紀・万葉集」をはじめとする古い書物を、現代の私たちがひも解く意味というのは、そういうことかもしれませんね。
絹谷 文学とか芸術だけの話ではなく、現代日本が直面している諸事情を解決するうえでも、古典から学ぶことはたくさんあるのではないでしょうか。
奈良時代、光明皇后は、奈良から遠く離れた山形に、興福寺直轄の慈恩寺(じおんじ)という寺を造らせています。
東大寺創建に尽力した行基さんの進言だったともいわれています。
山形は、奈良と地形がよく似ていて、温暖で米がよくできる。
防衛的にみても、回りを山に守られていて地震や水害が少なく、奈良が堺という港を持っていたように、酒田という港もある。
当時の人たちの方が、現代人よりもむしろ距離的にも時間的にも大きな視点を持っていたのではないでしょうか。
古典を学ぶということは、文化芸術を学ぶだけでなく、そこにはあらゆる要素が含まれている。政治、経済、産業…。
地勢学、気学かもしれないし、あるいは感覚、五感、そういうものまで含まれているのかもしれません。
失ってしまった感覚を教えてもらうような気持ちで、「記紀・万葉集」を読んでみたくなりました。どうもありがとうございました。
きぬたに・こうじ
プロフィール
1943年 奈良市生まれ。
1966年 東京芸術大学美術学部油画科卒業(小磯良平教室)。
1968年 同大学院壁画科卒業(島村三七教室、アフレスコ古典画研究)。
1970年にイタリアへ留学し、ヴェネツィア・アカデミアでフレスコ画を研究。
1973年 高松塚保存対策委員として石室内入室調査を行う。
日本芸術院会員、東京芸術大学名誉教授、大阪芸術大学教授。