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第20回 作家・武蔵野大学教授 三田誠広氏
第20回 作家・前武蔵野大学教授 三田誠広氏
歴史に名を残している人はみな、
現実を壊しながら乗り越えていく。
そういった人の青春小説を書いていきたい。
古代の若者の青春小説を書いてみたい
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先生はもともと作家で、特に芥川賞を取られているので純文学作家というふうに捉えているのですが、先生が歴史にご興味をお持ちになったのはいつごろなのでしょうか?
三田
最初は、「自分と同世代の人間がいかに生きるべきか」ということを考える青春小説みたいなものを執筆していました。年を重ね、自分の息子をモデルにした「いちご同盟」を執筆し、青春小説はもういいかなと感じました。大学で教えていたため、学生の様子を見ながら小説を書こうと思いましたが書けなくなった。なぜかというと、今の若い人は、自分がどう生きるかは考えていると思うのだが「いかに生きるべきか」ということを考えていない。我々の世代は国というものがあって、国と自分があって、自分が国に対して何ができるか、みたいなことを考えていた。そういうことを多分明治以降、幕末から我々の世代までは考えていたと思います。
そこでふと思いついたのが昔の人の青春。例えば持統天皇だと、天皇の娘であるがそのまま天皇になったわけではなくて、いろいろ紆余曲折があって天皇になった。そういう古代の若者の青春小説を書いてみたいと思い、そのためには歴史をある程度勉強しないといけないので、そこから歴史の勉強を始めました。私にとって青春小説とは、既にあるところにうまく潜り込むということではなく、何か壊しながら乗り越えていくものだと思っています。歴史に名を残している人は、みんな前のものを壊してのし上がっていっている。そういう意味で青春小説を書いています。
新しい歴史がどんどん解明されているため、資料をしっかり読むことが必要
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歴史を勉強するにあたって、どのような本をお読みになるのですか?
三田
歴史を習得するための本は、日本書紀です。その他は、学術書を読みます。執筆するときにその時代の歴史を勉強します。古代はある程度期間が短いため一通り読めば大体頭に入ってきますが、平安時代になると日記がたくさん残っているなど資料が豊富なため、解読するようなことを行っています。資料を解読することは難しいですが、新たな資料が出てくることもあるため必要です。特に、人の名前自体が平安時代になるとよくわからない。例えば、明子という名前は、国文学では全部音読みして「めいし」といいますが、清和天皇の母を日記で「あきらけいこ」とひらがなで書いてあるのが見つかって、今は「あきらけいこ」と読みます。在原業平の恋人だった高子(こうし)も、「たかいこ」だということがわりと最近になって判明しました。
名前の読み方そのものが今どんどん解明されているため、資料をしっかりと読むことが必要です。
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最近の著書で聖徳太子を題材にしていますが、なぜ聖徳太子について執筆されたのですか?
三田
仏教は好きだったので、三経義疏は高校生のときに読みました。キリスト教も好きだったし、物理学も好きだったので特段仏教が好きというわけではありませんが、1万円札の肖像画になっているし、これは誰なのだろうという単純な興味で読みました。なぜ聖徳太子がこれだけ評価されているのかということは、今となってもよくわかりませんが、一種の伝説を作ってすごい人がいたという物語が生まれて、それが日本を支えているということはなかなか面白いことだと思います。
聖徳太子を題材とした小説については、もう少し力がついてから執筆しようと思っていました。60歳を過ぎたのでもう書いておかないと後がないから書こうと。
高校生では、周りはだれも仏典を読んでいませんでした。そのため、自分だけ何でこんなものに興味があるのだろうという、孤独感みたいなものを持っていました。聖徳太子は政治家だから、政治の中に仏教を組み込んでいきますが、蘇我馬子らは単に仏像を見て拝んでいるだけです。仏教の経典を読んでみると、ただ仏像を見て拝むのとは全然違う世界が広がっています。そうすると、聖徳太子ももっとおおらかな孤独感のようなものがあったと思うし、それが飛鳥を離れたい、ちょっと一人きりになりたいみたいな思いにつながったのではないかと思います。
いろいろな名所を線でつなぎ、時代の特色を県民に伝えるようなプロジェクトがほしい
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こんなことをやったら面白いよというアドバイスがありましたら教えてください
三田
奈良県には、いろいろな名所がありますが、なかなかそれが線でつながっていかない。それをまとめて、飛鳥時代というのはこういうものだということを県民に周知させるようなプロジェクトがあるとよいと思います。飛鳥に関してはすごいものがある。昔だから大したものはないだろうと思っていたら、相当な土木建築を作っていたりします。幸い都市化されていないので、木造建築を取り除けば石はそのまま出てくる。木柱の礎石は残るので昔のことがわかります。結構道路も石で作っているところがあり、水路もあります。これら遺跡物を観光にどう生かすかというのは難しいところです。どうしても礎石が見つかったら、嘘でもいいから何か作りたくなる。復元が良いかどうかの議論はありますが、何か建てるのだったら偽物でもいいから建物を建て、公共の土地として観光名所にするのも1つのやり方だろうと思います。
みた・まさひろ
プロフィール
1948年大阪府生まれ。
早稲田大学文学部卒。1977年、「僕って何」で芥川賞を受賞。作品はほかに「いちご同盟」「炎の女帝 持統天皇」「聖徳太子 世間は虚仮にして」など。日本文藝家協会副理事長。日本ペンクラブ理事。著作権情報センター理事。日本点字図書館理事。武蔵野大学教授(2019年3月まで)。
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